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給黎郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿児島県給黎郡の位置

給黎郡(きいれぐん)は、鹿児島県薩摩国)にあった

郡域

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1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

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11.喜入村 12.知覧村(紫:鹿児島市 橙:南九州市 1 - 3は揖宿郡 21は頴娃郡 31 - 37は川辺郡)

近世以降の沿革

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  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り[1]。(8村)
    • 知覧郷 - 永里村、瀬世村、東別府村、厚地村、西別府村、郡村(現・南九州市)
    • 喜入郷 - 下村、上村(現・鹿児島市)
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治11年(1878年)(10村)
    • 下村が分割して前之浜村・生見村となる。
    • 上村が分割して中名村・瀬々串村となる。
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての給黎郡が発足。「知覧郡役所」が郡村に設置され、川辺郡揖宿郡頴娃郡とともに管轄。
  • 明治15年(1882年) - 西別府村が分割して西元村・塩屋村となる。(11村)
  • 明治16年(1883年) - 東別府村の一部が分立して南別府村となる。(12村)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、各郷に喜入村知覧村が発足。(2村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、下記の変更が行われる[2]。同日給黎郡廃止。
    • 川辺郡の大部分(川辺郡十島を除く)・給黎郡の一部(知覧村)の区域をもって、改めて川辺郡が発足。
    • 揖宿郡・頴娃郡および給黎郡の一部(喜入村)の区域をもって、改めて揖宿郡が発足。

変遷表

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自治体の変遷
明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
喜入村 明治30年4月1日
揖宿郡
揖宿郡
喜入村
昭和31年10月15日
町制
平成16年4月1日
鹿児島市に編入
鹿児島市
知覧村 明治30年4月1日
川辺郡
昭和7年4月1日
町制
川辺郡
知覧町
平成16年4月1日
南九州市
南九州市

脚注

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  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  2. ^ 鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、 原文

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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