第23普通科連隊
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第23普通科連隊 | |
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創設 | 1961年(昭和36年)2月28日 |
廃止 | 1981年(昭和56年)3月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵種/任務 | 普通科 |
所在地 | 北海道千歳市 |
編成地 | 東千歳 |
上級単位 | 第7師団 |
第23普通科連隊(だいにじゅうさんふつうかれんたい、JGSDF 23rd Infantry Regiment)は、北海道千歳市の東千歳駐屯地に駐屯していた、陸上自衛隊第7師団隷下の普通科連隊である。
概要
[編集]1961年(昭和36年)2月に第7混成団の機械化部隊への改編に伴い、同団隷下部隊として第11普通科連隊第3大隊を母体に第2大隊第6中隊、第1特科団第113特科大隊第1中隊を増強して新編された。連隊本部、本部管理中隊、4個の普通科中隊及び迫撃砲隊で編成され連隊長は1等陸佐。1962年(昭和37年)8月に第7混成団が第7師団に改編され迫撃砲隊が重迫撃砲中隊となるなどの改編が行われた。1981年(昭和56年)3月に第7師団が機甲化師団に改編の際、廃止となった。なお、廃止の際大半の隊員が第11普通科連隊の増強のため補充され余剰人員は道内の普通科連隊に異動した。
沿革
[編集](4個普通科中隊基幹・5個中隊および1個隊編成)
- 1961年(昭和36年)2月28日:第23普通科連隊が東千歳駐屯地で編成完結。第7混成団に隷属。
(4個普通科中隊基幹・6個中隊編成)
- 1962年(昭和37年)8月15日:
- 本部管理中隊及び4個普通科中隊、重迫撃砲中隊編成となる。第7師団に隷属。
廃止時の部隊編成
[編集]- 第23普通科連隊本部
- 本部管理中隊「23普-本」
- 第1普通科中隊「23普-1」
- 第2普通科中隊「23普-2」
- 第3普通科中隊「23普-3」
- 第4普通科中隊「23普-4」
- 重迫撃砲中隊「23普-重迫」
部隊改編
[編集]新編時(1961年(昭和36年)2月28日)
- 第23普通科連隊本部
- 本部管理中隊「23普-本」
- 第1普通科中隊「23普-1」
- 第2普通科中隊「23普-2」
- 第3普通科中隊「23普-3」
- 第4普通科中隊「23普-4」
- 迫撃砲隊「23普-迫」
人員:約1000名
車両:約130両
砲:約60門
第23普通科連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 山口満雄 | 1961年 | 2月28日 - 1963年 3月15日第11普通科連隊付 | 陸上自衛隊富士学校機甲科教育部 副部長 兼 同部教務課長 |
2 | 佐藤久彌 | 1963年 | 3月16日 - 1964年 3月15日陸上自衛隊富士学校研究部第1課長 | 第7師団司令部幕僚長 |
3 | 押尾精一 | 1964年 | 3月16日 - 1966年 7月15日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 陸上幕僚監部第5部機甲科班長 |
4 | 平城弘通 | 1966年 | 7月16日 - 1968年 7月15日陸上幕僚監部第2部勤務 | 東部方面総監部第2部長 |
5 | 藤吉俊男 | 1968年 | 7月16日 - 1970年 7月15日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
6 | 澤田壽朗 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日第9師団司令部第3部長 | 陸上自衛隊富士学校学校教官 |
7 | 柏原眞一 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 7月15日中央監察隊勤務 | 北部方面総監部総務課勤務 |
8 | 小石川和雄 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 8月 1日空挺教育隊勤務 | 第1空挺団副団長 |
9 | 平松幹良 | 1976年 | 8月 2日 - 1978年 6月30日西部方面総監部第3部勤務 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課 服務班長 |
末 | 竹原幸一 | 1978年 | 7月 1日 - 1981年 3月24日陸上自衛隊幹部学校学校教官 | 防衛大学校訓練部訓練課長 |