石田幹之助
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1891年12月28日 日本・千葉県千葉市 |
死没 | 1974年5月25日(82歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 中国文学 |
研究機関 | 國學院大學 |
学位 | 文学博士(日本大学) |
主な受賞歴 |
紫綬褒章 瑞宝章 |
石田 幹之助(いしだ みきのすけ、1891年12月28日 - 1974年5月25日)は、日本の歴史学者・東洋学者[1]。國學院大學や大正大学、日本大学などで教授を務めた。芥川龍之介とは、一高同期の友人だった。
来歴
[編集]千葉県千葉市に生まれる。麻布中学校から第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学東洋史学科に進み、1916年に卒業。卒業後は東大に残り史学研究室副手となり、学術調査で当時の中華民国に渡り、モリソン文庫の受託・創設、後身となった財団法人東洋文庫の発展に尽力する。
財団法人国際文化振興会で日本文化の海外紹介にも力を尽した。1942年に國學院大學教授となり、1946年に日本大学教授に異動するが、1962年に退職して再び國學院大學へ戻って教授となる。1959年に日本大学から文学博士の学位を取得している。1968年、日本学士院会員。1974年、急性肝炎のため自宅で死去。
受賞歴・叙勲歴
[編集]著書
[編集]- 「欧米支那学界現況一斑」(東亜研究講座:東亜研究会、1925年)
- 「西洋人の眼に映じたる日本」(岩波講座日本歴史:国史研究会編、岩波書店、1934年)
- 「支那に於ける耶蘇教」(岩波講座東洋思潮:東洋思想の諸問題、岩波書店、1934年)
- 「支那文化と西方文化のとの交流」(岩波講座東洋思潮:東洋思想の諸問題、岩波書店、1935年)
- 『欧人の支那研究』 現代史学大系 第8巻:共立社、1932年/日本図書(増補版)、1946年
- 『長安の春』(創元社、1941年)[2]
- 『欧米に於ける支那研究』(創元社、1942年)
- 『南海に関する支那史料』(生活社、1945年)
- 『唐史叢鈔』(要書房、1948年)
- 『東亜文化史叢考』(東洋文庫〈東洋文庫論叢 第54〉、1973年)、NCID BN02737213
- 『石田幹之助著作集』(全4巻、六興出版、1985-86年)
- 1.大川端の思ひ出、2.東と西、3.東洋学雑鈔、4.東洋文庫の生まれるまで
- 『欧米・ロシア・日本における中国研究』(科学書院、1997年)、「支那研究」2冊を合本復刻
監訳
[編集]- 「支那文化論叢」陳衡哲編 生活社 1942年