犬尾城 (愛媛県)
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犬尾城 (愛媛県) | |
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別名 | 犬日城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 法華津氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 法華津氏、土居清宗、宗実、宗信 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 宇和島市指定史跡 |
位置 | 北緯33度16分28.4秒 東経132度32分17.5秒 / 北緯33.274556度 東経132.538194度座標: 北緯33度16分28.4秒 東経132度32分17.5秒 / 北緯33.274556度 東経132.538194度 |
地図 |
犬尾城(いぬびじょう)は、愛媛県宇和島市吉田町立間尻にあった日本の城。別名犬日城。宇和島市指定史跡[1]。
概要
[編集]伊予吉田駅の西550メートルに位置する、立間川河口にそびえる標高130メートルの犬尾山(犬日山)山頂にある。北側には石城がある。
築城年代は不明だが、鎌倉時代中期以降に伊予国に入った伊予西園寺氏配下の武将・法華津氏が築城したと伝えられ、西園寺氏の出城として機能した。法華津氏が、新たに法華津本城を築城しこれに移ると、石城と共にその支城となった。
天文15年(1546年)、豊後・大友氏の伊予侵攻に備え、西園寺氏の命により大森城主・土居清宗が石城に入り、犬尾城の守備を子の土居宗実・宗信に任せた。
永禄元年(1558年)以降激化した大友の攻勢に対し、土居勢はよく守ったが、永禄3年(1560年)9月22日に落城した[1]。
1979年(昭和54年)3月26日に当時の吉田町により町指定史跡となった。現在は宇和島市指定史跡。
脚注
[編集]- ^ a b 「市指定 犬尾城跡」宇和島市公式HP
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「市指定 犬尾城跡」宇和島市公式HP