Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

浅越ゴエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅越 ゴエ
本名 浅越 浩志(あさごえ ひろし)[1]
生年月日 (1973-12-20) 1973年12月20日(50歳)[2]
出身地 日本の旗 日本岡山県岡山市[2]南区
血液型 B型[2]
身長 178cm[2]
言語 日本語
方言 岡山弁
関西弁
最終学歴 立命館大学法学部卒業
出身 NSC大阪校16期[2]
グループ名 ザ・プラン9(2001年 - )
相方 お〜い!久馬ヤナギブソンコヴァンサンきょうくん爆ノ介
芸風 コント漫談
事務所 吉本興業[2]
活動時期 1996年 -
同期 中岡創一ロッチ)、高山和也
現在の代表番組 今ちゃんの「実は…」
ウラマヨ!など
配偶者 既婚
公式サイト プロフィール
受賞歴
1999年 第20回ABCお笑い新人グランプリ 新人賞(デモしかし)
2002年 第24回ABCお笑い新人グランプリ 新人賞
2003年 第32回上方お笑い大賞 新人賞
2004年 R-1ぐらんぷり2003 優勝
テンプレートを表示

浅越 ゴエ(あさごえ ゴエ、1973年12月20日 - [2])は、吉本興業に所属[2]する日本お笑いタレント。お笑いユニット「ザ・プラン9」のメンバーの1人であるほか、ピン芸人としても活動している。本名:浅越 浩志(あさごえ ひろし)[1]。『R-1ぐらんぷり2003』王者。

身長:178cm、体重:75kg。血液型はB型[2]。旧芸名:アサゴエ ヒロ志[3]

来歴

[編集]

岡山県岡山市[2]南区出身。岡山市立妹尾中学校[注 1]岡山県立岡山芳泉高等学校を経て、立命館大学法学部を卒業。3人兄弟の末っ子で、兄と姉がいる。

大学在学中に、放送局4社のアナウンサー試験を受けた[4]。アナウンサーを志望したきっかけはテレビで観たプロレス中継の実況で、いつかは実況をしたいという夢を抱えアナウンサー試験を受けた[5]。何も準備をしないまま試験を受けたが、渡された原稿を読んだ際に「君の(原稿を)読む声はどうも嘘っぽい」との理由で不採用となった。このときの経験が、後述のピン芸やタレント活動に生かされた。

大学在学中の1995年10月、吉本総合芸能学院(NSC)・大阪校に第16期生として入学。

コンビ・「イン☆パルス」(1995年 - 1996年)および「デモしかし[注 2]」(1996年 - 1999年)の結成・解散ののち、大学在学中に取得した宅地建物取引士資格を活かし[3]住友不動産販売に入社して1年ほど勤務した[3]

久馬歩(のちのお〜い!久馬、当時シェイクダウン)の強い誘い(その誘いは月に1回はあり、誘いを受けようと本人が決心するまでに、3か月かかったとされる。「@ライトトーククラブ」ヤナギブソン談/読売テレビ祇園笑者』でも言及[信頼性要検証])を受けて会社を退職し、2001年4月に久馬、鈴木つかさ(元シンドバット、のち脱退)とともにザ・プラン9を結成した(以降のユニットの来歴はザ・プラン9#来歴参照)。

2007年12月5日、体の不調を訴え大阪市内の病院で検査を受け入院。検査の結果、急性肝炎であることが判明した。この年の『M-1グランプリ』でザ・プラン9は準決勝まで進出していたが、浅越の体調不良により準決勝および敗者復活戦を棄権した。また、当時予定されていた本公演『仇男』の大阪公演は翌年2月に延期になった。2008年2月には肝炎に続き胆石の検査で入院。同年3月上旬には胆石の除去手術で再び1週間ほど入院した。2009年1月上旬には血尿が出て1週間ほど入院した。

芸風

[編集]
  • 劇場などにピン芸人として登場する場合の出囃子ヤポネシアン・ボールズ・ファウンデーションの「WE'RE GONNA HAVE A REAL GOOD TIME TOGETHER」。
  • 主なピンネタに、ニュースキャスターの格好で、滑舌よく架空のニュースを読み上げる「しっくりこないニュース」がある[注 3]
    • 2009年11月18日放送の『リアルタイムふくい』(福井放送)に生出演し、「浅越ゴエのしっくりこないニュース」と称して、実際のニューススタジオで「ばいきんまんさんの訃報」など嘘のニュースを約2分間読み上げた。この日は、11月29日に福井市で開催される「よしもとゴールデンシアターin福井」の宣伝に来福。また、同放送局の昼のラジオ番組にも出演した。
  • レギュラー出演のラジオ番組などで自己紹介をする時「浅越……ゴエでございます、よろしくお願いします」と、約1秒の間を置くことが、毎回のお約束になっている。
  • カンテレ千原ジュニアの座王』では大喜利モノボケを得意としている。

人物・エピソード

[編集]
  • 高校3年生の時、友人2人と『第11回 全国高等学校クイズ選手権』に出場。岡山県代表として全国大会に進出するも、1回戦で敗退。
  • 「デモしかし」時代の末期に芸名を「アサゴエヒロ志」とし、この頃から衣装をスーツにした[3]
  • 眼鏡がトレードマークだが、視力は悪くなく伊達眼鏡である。プライベートでは眼鏡を外している。「デモしかし」時代は眼鏡をかけていなかった。
  • 几帳面な性格。お笑い情報誌『マンスリーよしもと2007年4月号の特集「ビバひとり暮らし」では、登場した芸人が部屋の間取りを公開していたが、ほとんどの芸人がフリーハンドで描いていたのに対し、彼は定規などを使って丁寧に間取りを描いていたほど。ただし本人曰く、実際は結構適当な性格らしい[要出典]
  • かなりのラーメン通で[6]「東京のラーメンは全部うまい」と色々な所で熱弁している[要出典]
  • お笑い芸人が結成したパンクバンド「盆地で一位」の名付け親である。
  • 太ももが太い。太ももが太くなったのは、高校時代に家から相当離れた所にあった学校に毎日自転車通学していたため[3]
  • アナウンサー志望だった経験を買われ、新吉本プロレスハッスルの実況などを担当する時もある。
  • 吉本新喜劇のベテラン女優末成由美に可愛がられていて、『制作会社プラン9』(2007年9月27日にテレビ大阪で放送されたプラン9の特別番組)で末成との「公開デート」を実現するなど、出演番組で末成との親密な交際ぶりが永らく話題になっていた[7]。実際には、13歳年下の一般女性と5年ほど交際したうえで、2013年10月に結婚した[8]

ピンでの賞レース参加

[編集]
  • R-1ぐらんぷり』優勝者であるものの、自身が優勝した第2回はテレビ中継が関西ローカル、優勝賞金が100万円であった。そのため翌年の第3回から全国放送、さらに優勝賞金が「500万円」とグレードアップしたことには納得がいかず、優勝経験者ながら第4回(2006年)大会にも「参戦する」と異例の表明をし、決勝まで進んだが3位に終わった。第8回(2010年)大会にも参戦したものの、準決勝敗退。
  • 『R-1ぐらんぷり2007』では、ザ・プラン9の相方(当時)、なだぎ武を会場の客席で応援していた。このシーンは、2007年『R-1』DVDの特典映像に収録されている。
  • S-1バトル』4月期の優勝では、賞金1000万円とグランドチャンピオン大会への進出権を獲得し、最終的にはファイナル3位となった。なお、グランドチャンピオン大会で披露された「しっくり〜」は『NNN Newsリアルタイム』(日本テレビ)で実際に使用されている本物のニューススタジオを借りて収録された。本人曰く「ネタ中に本物のニュース速報が流れたらどうしようかと思っていた」。
  • 2010年、大会概要、ルール改正のされた『S-1バトル』で、5週連続1位の座を守り、ラウンド3での殿堂入り、及び賞金1,000万円を獲得した。また、2011年に行われる予定だったグランドチャンピオン大会への出場権も獲得したが、開催前に中止・終了が決定した。

賞レース成績・受賞歴など

[編集]

R-1ぐらんぷり

[編集]
結果 エントリーNo. 決勝戦キャッチコピー 備考
2002年 決勝敗退 当時は優勝者以外の発表なし
2004年 優勝 591 ニュース漫談でお馴染み
吉本が生んだIQ芸人
2005年 不参加
2006年 決勝3位 418 才知あふれる技巧派弁士
2007年 不参加
2008年 不参加
2009年 不参加
2010年 準決勝敗退

その他

[編集]

出演

[編集]

放送番組

[編集]

終了した放送番組

[編集]

映画

[編集]

DVD

[編集]

(以上すべてYOSHIMOTO WORKSより)

注釈

[編集]
  1. ^ 大森うたえもんは浅越の先輩にあたる。
  2. ^ デモしかし時代の相方・高山和也はのちの「超新塾」元メンバーのDRAGONタカヤマこと、舞台演出家のコウカズヤ。
  3. ^ 頻繁にマリオシリーズやアニメ関連のネタが登場する。

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]