森田稔夫
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森田 稔夫(もりた のりお、1937年(昭和12年)6月30日[1] - 1991年(平成3年)7月8日[1])は、昭和から平成時代初期の政治家。青森県五所川原市長。
経歴
[編集]森田安雄、キヨの子として青森県西津軽郡木造町(現つがる市)に生まれる[2]。父が旧制木造中学校の教師から応召して戦死後、医師の母に育てられる[2]。東京大学教養学部を卒業し日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社[1][2]。1967年(昭和42年)五所川原市に移住し森田農場を経営する[2]。衆議院議員総選挙に3度挑戦するものの果たせず、1983年(昭和58年)の五所川原市長選で初当選を果たす[2]。しかし2期目途中、公共工事を巡る側近の疑惑と市政混乱からリコールが成立し辞任した[2]。市長在任中に五所川原大橋の架橋を実現した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日外アソシエーツ株式会社 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。