樺 (樺型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1914年度[1] |
起工 | 1914年12月1日[1] |
進水 | 1915年2月6日[1] |
就役 | 1915年3月15日[1] |
除籍 | 1932年4月1日[1] |
性能諸元(計画公表値) | |
排水量 | 基準:公表値 595トン 常備:計画 665トン |
全長 | 全長:82.90 m [注釈 1] 水線長:82.29m[注釈 2] 垂線間長:260 ft 0 in (79.25 m) |
全幅 | 24 ft 0+3⁄8 in (7.32 m) |
水線幅 | 24 ft 0 in (7.32 m) |
吃水 | 7 ft 9 in (2.36 m) |
深さ | 15 ft 3 in (4.65 m) |
機関 | 推進:3軸 主機:直立4気筒3段レシプロ 3基 出力:計画 9,500馬力 ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、混焼2基 |
速力 | 30ノット 1931年時 31ノット |
燃料 | 重油137トン、石炭100トン |
航続距離 | 1,600カイリ / 15ノット |
乗員 | 竣工時定員 90名[2] 1920年調 94名 1928年公表値 96名 |
兵装 | 40口径12cm単装砲 1門[注釈 3] 40口径8cm単装砲 4門[注釈 4] 45cm連装魚雷発射管 2基4門 |
搭載艇 | 4隻 |
備考 | ※トンは英トン |
樺(かば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の1番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「樺」があるため、こちらは「樺 (初代)」や「樺I」などと表記される。
艦歴
[編集]1914年(大正3年)12月1日、横須賀海軍工廠で起工[3]。1915年(大正4年)2月6日、進水[3][4](出渠[5])。同年3月15日、竣工[3][6][注釈 5]。
第21駆逐隊に所属し、1918年(大正7年)12月1日から1923年(大正12年)5月10日まで馬公要港部(馬公)の警備に従事[7]。同年12月1日から1925年(大正14年)4月1日まで旅順防備隊に所属した[7]。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 杉浦正雄 少佐:1915年2月12日 - 1916年12月1日
- 若山昇 少佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日[10]
- 江口穀治 少佐:1917年12月1日[10] - 1918年5月1日[11]
- 北川保橘 少佐:1918年5月1日[12] - 1918年12月1日[13]
- 村田章一 大尉:1918年12月1日[13] - 1919年12月1日[14]
- 畠山義赴 少佐:1919年12月1日[14] -
- 郷田喜一郎 少佐:不詳 - 1920年12月1日[15]
- 畠山義赴 少佐:不詳 - 1921年9月10日[16]
- 白石邦夫 少佐:1921年9月10日[16] - 1923年5月10日[17]
- 加来博胤 少佐:1923年5月10日[17] - 1924年12月1日[18]
- 河原金之輔 少佐:1924年12月1日[18] - 1925年12月1日[19]
- (兼)直塚八郎 少佐:1925年12月1日[19] - 1926年2月5日
- (兼)大藤正直 少佐:1926年2月5日[20] - 1926年4月5日[21]
- 池田久雄 少佐:1926年4月5日[21] - 1927年12月1日[22]
- 小豆沢成 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
- 博義王 少佐:1928年12月10日[23] - 1929年11月30日[24]
- (兼)瀬戸山安秀 大尉:1929年11月30日 - 1930年12月1日
- (兼)加瀬三郎 少佐:1930年12月1日 - 1931年4月1日
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #軍艦基本計画資料Sheet14、樺完成常備状態の値として、全長82.906m、水線長82.308m、垂線間長79.260m、水線幅7.325mとしている。
- ^ #日本の駆逐艦p.293では全長82.29mとしている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式12cm砲。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その二「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」による。安式8cm砲。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備31p.274、#堀駆逐艦1969p.115、#聯合艦隊軍艦銘銘伝2014p.428、#日本駆逐艦史1992p.42、#駆逐艦の系譜1p.28では大正4年(1911年)3月5日竣工としている。
出典
[編集]- ^ a b c d e 『日本海軍史』第7巻、296頁。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.530『大正四年二月六日(内令三七) 海軍定員令中ノ通改正セラル 別表「二等驅逐艦定員表」ノ下ニ「其一」ヲ加フ 別表中ヘ附表ノ通二等驅逐艦定員表其二ヲ加フ | 艦第二十表ノ二 |二等 驅逐艦定員表 其二 | 驅逐艦名 | 樺、桂、榊、楓、梅、楠、柏、松、桐、杉 |(以下略)』將校同相當官5人、兵曹長同相當官、准士官3人、下士22人、卒60人。
- ^ a b c #帝国海軍機関史下巻p.543(四五三頁)
- ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(3)画像41『大正四年二月六日(中略)樺二時半無事進水セリ(了)』
- ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝2014p.428
- ^ #T14公文備考41艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(4)画像4『大正四年三月十五日(中略)本日駆逐艦樺ノ引渡ヲ了セリ(了)』
- ^ a b #聯合艦隊軍艦銘銘伝2014p.429
- ^ 「海軍辞令公報 大正4年2月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072070900
- ^ 「海軍辞令公報 大正4年3月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071000
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ 「海軍辞令公報 大正7年5月」 アジア歴史資料センター Ref.C12070262800
- ^ 『官報』第1722号、大正7年5月2日。
- ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2735号、大正10年9月12日。
- ^ a b 『官報』第3232号、大正12年5月11日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第4034号、大正15年2月6日。
- ^ a b 『官報』第4082号、大正15年4月6日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
参考文献
[編集]- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。
- 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福田啓二/編 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9。
- 衣島尚一「日本海軍 駆逐艦の系譜1~黎明期から睦月型の誕生まで~+日本の駆逐艦・キット総点検(1)」『艦船模型スペシャル』No.17、モデルアート社、2005年9月。
- 森恒英『軍艦メカニズム図鑑 日本の駆逐艦』グランプリ出版、1995年1月。ISBN 4-87687-154-X。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(3)』。Ref.C08020599500。
- 『大正4年 公文備考 巻41 艦船1/中型巡洋艦製造一件 桐、樺、桂、杉、柏、松、榊、楓、栂、楠(4)』。Ref.C08020599600。