柳田秀一
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柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月10日[1] - 1978年4月4日[2])は、日本の医師、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)、舞鶴市長。
来歴・人物
[編集]京都府舞鶴市出身。京都一中・旧制六高を経て岡山医科大学を卒業し[1]、京都帝国大学大学院医学部で学ぶ[2]。その後医師を開業。1947年に舞鶴市長に当選し1950年まで務める。
1952年の総選挙に左派社会党公認で京都2区から出馬し、初当選。1955年に再統一した日本社会党にも引き続き所属し、この間1966年1月に佐々木更三・勝間田清一両委員長の下で、国会対策委員長を務める[2]。また日本体育協会でも理事を務め、東京オリンピックでも組織委員となった。
1972年の総選挙で地盤を京都府副知事だった山田芳治に譲り引退、1978年4月4日に府知事選に立候補した山田の政談演説会の直後に脳梗塞で倒れ死去。享年72。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職 | ||
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先代 川北正太郎 |
京都府舞鶴市長 1947年 - 1950年 |
次代 嵯峨根達雄 |
党職 | ||
先代 横路節雄 山花秀雄 |
日本社会党国会対策委員長 第7代 : 1966年 第9代 : 1967年 - 1970年 |
次代 山花秀雄 楯兼次郎 |