枝川停留場
表示
枝川停留場 | |
---|---|
停留場を西から望む | |
えだがわ Edagawa | |
◄中山 (0.3 km) (0.6 km) 伊野商業前► | |
左は枝川駅 | |
所在地 | 高知県吾川郡いの町枝川 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 伊野線 |
キロ程 | 9.2 km(はりまや橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面1線 |
開業年月日 | 1907年(明治40年)11月7日 |
乗換 | 枝川駅(土讃線) |
枝川停留場(えだがわていりゅうじょう)は、高知県吾川郡いの町枝川にあるとさでん交通伊野線の路面電車停留場。
歴史
[編集]枝川停留場が開業したのは1907年(明治40年)[1]。伊野線の枝川 - 伊野間の開通に合わせて設置された[1][2]。当停留場より高知市側はこの時すでに咥内まで路線が到達していたが、咥内までの区間には咥内坂があり、伊野線は坂越えに際してトンネルを掘る必要があったため、枝川 - 伊野間の開通が先となった[3][4]。残された枝川から咥内までの区間は翌1908年(明治41年)に開通し、これをもって伊野線は全通を果たしている[2]。
咥内坂を越える区間はのちに改良工事が実施され、1960年(昭和35年)にトンネルが撤去された[5]。この改良工事にともない、当停留場付近でも軌道の移設工事が行われている[3]。
年表
[編集]- 1907年(明治40年)11月7日:伊野から当停留場までの開通により、土佐電気鉄道の停留場として開業[1][2]。
- 1908年(明治41年)2月20日:当停留場から咥内までが開通し伊野線全通[1][2]。途中駅となる。
- 1977年(昭和52年):交換設備を廃止[3]。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[6]。とさでん交通の停留場となる。
停留場構造
[編集]ホームは2面あり、東西方向に伸びる単線の軌道を挟み込むように向かい合う(相対式ホーム)[7]。軌道の北にあるのがはりまや橋方面行きのホーム、南にあるのが伊野方面行きのホームで、はりまや橋方面行きのホームは安全地帯が広く、待合室もある[4][7]。両隣の中山停留場や伊野商業前停留場に比べると、当停留場は軌道が北側に寄っているため、伊野方面行きホームにも安全地帯が備わっている[4][7]。
停留場の利用者のため、建設省(当時)の補助により駐輪場が設置されている[4][8]。かつては列車交換のための設備も備えていたが、1977年(昭和52年)の八代信号所復活に際して廃止された[3]。
停留場周辺
[編集]四国旅客鉄道(JR四国)土讃線の同名駅、枝川駅は停留場の南にある[3]。北には高知県運転免許センターが立地する[3]。
- 国道33号
- 「枝川」バス停留所
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c d 『土佐電鉄が走る街 今昔』99・156-158頁
- ^ a b c d e f 『土佐電鉄が走る街 今昔』48-49頁
- ^ a b c d 川島令三『全国鉄道事情大研究』 四国篇、草思社、2007年、280-289頁。ISBN 978-4-7942-1615-1。
- ^ 『土佐電鉄が走る街 今昔』45・157頁
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、42,94頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
- ^ 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、92頁。ISBN 4-87503-268-4。
参考文献
[編集]- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。