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更埴橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
更埴橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 長野県長野市小島田町 - 松代町柴
交差物件 千曲川
用途 道路橋
路線名 長野県道382号中村金井山停車場線
管理者 長野県長野建設事務所
開通 1971年昭和46年)5月21日
座標 北緯36度35分44.4秒 東経138度11分46.7秒 / 北緯36.595667度 東経138.196306度 / 36.595667; 138.196306 (更埴橋)
構造諸元
形式 桁橋
材料
全長 525.9 m
6 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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長野県道382号標識

更埴橋(こうしょくばし)は、長野県長野市小島田町 - 松代町柴の千曲川に架かる長野県道382号中村金井山停車場線の橋長525.9 m(メートル)の桁橋

概要

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  • 形式 - 鋼単純鈑桁橋1連+鋼3径間連続鈑桁橋3連+鋼単純鈑桁橋1連
  • 橋長 - 525.9 m
  • 幅員 - 7.5 m
    • 車道 - 6 m
    • 歩道 - 片側1.5 m

[1][2][3]

歴史

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かつて小島田の渡しがあり、松代街道が千曲川を渡河する地点であったこともあり1878年明治11年)に40(約72 m)を10艘により渡した舟橋となった。1907年(明治40年)に木橋となった[2]

また、現存しないが、1892年(明治25年)に真島と松代寺尾を結ぶ木橋の真島橋が架設された。この橋は橋長55間(約99 m)、幅員1間(約1.8 m)を有していた[2]

1949年昭和24年)8月31日から9月1日にかけてキティ台風のため、千曲川が増水し更埴橋を撤去した[4]

1971年(昭和46年)5月21日に永久橋となる。更埴橋の名は小島田側の更級郡と柴側の埴科郡を結んでいたことに由来する[2][4][2][3]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 更埴橋1878”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年9月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e 青木潤 1999, pp. 118–119.
  3. ^ a b 宮尾房雄 1985, p. 39.
  4. ^ a b 付表”. 令和2年版長野市統計書. 長野市 (2021年4月1日). 2021年9月1日閲覧。

参考文献

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  • 青木潤『信濃路・橋の秘めごと』アース工房、1999年5月10日。ISBN 9784879470386 
  • 宮尾房雄「橋めぐり にし ひがし 長野県の巻 岩野橋」(PDF)『虹橋』第32巻、日本橋梁建設協会、1985年1月、ISSN 0912-39382021年9月1日閲覧 

外部リンク

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