岩谷真哉
いわや しんや 岩谷 真哉 | |
---|---|
生年月日 | 1961年10月5日 |
没年月日 | 1984年5月8日(22歳没) |
出身地 | 日本 岐阜県各務原市 |
死没地 | 日本 東京都 |
血液型 | O型 |
所属劇団 | 第三舞台 |
主な作品 | |
『朝日のような夕日をつれて』 |
岩谷 真哉(いわや しんや、1961年〈昭和36年〉10月5日 - 1984年〈昭和59年〉5月8日[1])は、日本の俳優。岐阜県各務原市出身[1]。
来歴・人物
[編集]演劇青年
[編集]高校時代、演劇部に入部[2]。2年生の頃、コンクールで中部大会に進出した際に会場で見たつかこうへいの『熱海殺人事件』のコピー作品の芝居に衝撃を受ける[2]。その衝撃から受けた思いを胸に抱いて翌年に作った舞台が好評だったことから、演劇専攻のある早稲田大学に進学[2]。
在学中の1981年、共に早稲田大学演劇研究会に所属していた鴻上尚史、大高洋夫、名越寿昭らと劇団第三舞台を旗揚げした。旗揚げ公演は『朝日のような夕日をつれて』である。
『朝日のような夕日をつれて’83』では、岩谷のブロマイドが完売となるほどの人気ぶりで[2]、学生演劇とは思えないほど熱狂的なファンがいた、と鴻上も述懐している[1]。 演技については、リズム感の良さ・テンポのある演技・身体が細身であることからしなやかと評されていた[2][3]。 自身はインタビューの中で「軽い、とも言われる。少しは落ち着いた方がいいのかな。僕なんか けっこうしゃべる方だし、根が明るいから。今、自分では役を演っていても地が出てるんじゃないかと思うけど、素顔と舞台に上がった時とが全然違うっていうのは好きですね。やっぱり役者は舞台で出さなきゃと思うし、素顔の方が面白いようなら何も役者やることないものね」と話していた[2]。
旗揚げ以降、『宇宙で眠るための方法について』(1984年)まで第三舞台の全作品に出演、劇団の看板俳優の一人として重要な役どころを演じた。
事故死
[編集]1984年5月8日、岩谷は大学からオートバイを運転し帰宅する途中、杉並区高円寺の早稲田通りで交通事故に遭い、病院に救急搬送されたがそのまま息を引き取った。岩谷の逝去に伴い、劇団は最後の大隈講堂裏特設テント公演として準備していた『プラスチックの白夜に踊れば』を中止した[4]。岩谷の死を当時交際中だった劇団員の彼女に伝えたのは鴻上尚史だった[5]。
第三舞台の主宰である鴻上は後に「俳優になるために生まれてきたような花のある若者だった」[6]、「岩谷がもし生きていたら、野田秀樹と肩を並べるほどの名俳優になっていただろう」と語り、「彼の評判は観客の口コミを通して他劇団の演出家にまで伝わっていた。それほどの役者だった」とも述べた。[要出典]ビデオの中で長野里美も、岩谷の妥協しない芝居への姿勢を語っていた。
第三舞台は岩谷の死により看板俳優を失ったといわれたが、岩谷の死をバネにして、その後の活躍があったともいえる。[独自研究?]岩谷の死後、岩谷の母親が亡くなる1996年まで、大阪公演がある時には劇団員の皆で岐阜県にある岩谷の実家に訪れるのが通例となっていた[1][7]。
出演
[編集]舞台
[編集]- 1981年
- 1982年
- 1983年
- 1984年
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 「あとがきにかえて」サードステージ、2002年。2024年9月17日閲覧。
- ^ a b c d e f 大隈裏, p. 131.
- ^ 「役者紹介」サードステージ。2024年9月17日閲覧。
- ^ 大隈裏, p. 224.
- ^ 「戯曲『ファントム・ペイン』所収 “あとがきにかえて”」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
- ^ 鴻上尚史「12歳の息子の死を「どう受けとめるべきか」と苦しむ56歳父親に、鴻上尚史が「死は不合理」と示したうえで伝えた「死の意味」」『AERA.dot』朝日新聞出版、2024年2月13日。2024年9月17日閲覧。
- ^ 小須田康人「キリングタイムス 明鏡止水随筆・長良川の夜 第一回」『演劇ぶっく』7巻(6号)、演劇ぶっく社、1992年11月6日、66頁。国立国会図書館書誌ID:000000105121。
この夏の終わりに、岐阜の長良川まで「鵜飼い」を見に行ってきた。ウチの劇団では、大阪公演のたびに、8年前事故で亡くなった岩谷さんの御実家のある岐阜に遊びに寄らせていただくのが習慣になっているのだが、地元・長良川の鵜飼いをぜひ一度、というご両親からのお誘いがあったので、東京から大挙して押しかけたのである。
- ^ 大隈裏, p. 211.
- ^ 「『朝日のような夕日をつれて』(第三舞台旗揚公演)」サードステージ。2024年9月17日閲覧。
- ^ a b 「KOKAMI@network vol.20 『朝日のような夕日をつれて2024』2024年8月上演決定!!」『ローチケ演劇宣言!』ローソンエンタテインメント、2024年2月27日。2024年9月17日閲覧。
- ^ 「宇宙で眠るための方法について」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
- ^ 大隈裏, p. 214.
- ^ 「プラスチックの白夜に踊れば」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
- ^ 大隈裏, p. 216.
- ^ 「電気羊はカーニバルの口笛を吹く」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
- ^ a b 大隈裏, p. 218.
- ^ 「リレイヤー」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
- ^ a b c 大隈裏, p. 220.
- ^ 「デジャ・ヴュ」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
- ^ 「宇宙で眠るための方法について」サードステージ。2024年9月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 佐々木克己(早稲田大学舞台美術研究会OB・大隈裏記録編集委員会) 編『大隈裏 1967 - 1989 早大演劇研究会と舞台美術研究会の22年 リニューアル改訂版: 今読むべき日本の小劇場演劇史 KSP屋根裏ブックス』株式会社サプリ「KSP屋根裏ブックス事務局」、2020年12月23日。ASIN B08R968GV4。