山本清次
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山本 清次 | |
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生誕 |
1873年6月3日 日本 大阪府 |
死没 | 1945年12月14日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1927年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
山本 清次(やまもと せいじ、1873年(明治6年)6月3日 - 1945年(昭和20年)12月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]大阪府出身[1][2]。1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][2]。
1918年(大正7年)1月に金沢連隊区司令官、同年8月に陸軍歩兵大佐、1921年(大正10年)6月に歩兵第8連隊長、1923年(大正12年)8月に陸軍少将・歩兵第15旅団長、1926年(大正15年)3月に第9師団司令部附を経て、1927年(昭和2年)7月に陸軍中将に昇進と同時に待命、同年9月に予備役に編入した[1][2]。
著作
[編集]- 『歩兵各個教練』兵事雑誌社、1908年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。