山崎 (鎌倉市)
山崎 | |
---|---|
大字 | |
湘南鎌倉医療大学 | |
北緯35度20分33秒 東経139度31分36秒 / 北緯35.3426度 東経139.526767度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 深沢地域 |
人口情報(2023年(令和5年)9月1日現在[1]) | |
人口 | 5,563 人 |
世帯数 | 2,511 世帯 |
面積([2]) | |
1.12 km² | |
人口密度 | 4966.96 人/km² |
郵便番号 | 247-0066[3] |
市外局番 | 0467(藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
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山崎(やまさき)は神奈川県鎌倉市深沢地域にある大字。旧名は洲崎(風土記稿[5])で鎌倉の戦いにおける「洲崎古戦場」はこの地を指す。住居表示未実施区域[6]。
地理・歴史
[編集]地名の由来は山丘の先端に基づく(風土記稿[5])ほか、京都の山崎を擬えたものとされる。初見は義堂周信の『空華日用工夫略集』で、貞治6年(1367年)の「密かに山崎に匿る」である。鎌倉公方足利基氏の万寿寺住持就任を謝絶し山崎に隠棲した。応安7年(1374年)11月23日に円覚寺大火のため、長老大法大闡が「山崎宝積寺」に移っている。この宝積寺は京都の宝積寺を模して創建されたという(現在は廃寺)。康正3年(1457年)2月の「今川範忠禁制」に「相州山崎村」の記述がある。明応3年(1494年)4月19日の「玉井院檀那本銭返売券」において「山崎泉蔵坊」は熊野詣の先達職を持つ坊であったことが記されている。永正17年(1520年)3月25日の資料でも「鎌倉山崎泉蔵坊 祐秀」と記録され、江戸時代に続く熊野信仰の拠点となっていた。
後北条氏の時代には東郡に属したが江戸時代には鎌倉郡に属し、正保元年(1644年)の正保国絵図にも「山嵜村」と記録されている。江戸時代は幕府領であった。
皇国地誌によると明治12年(1879年)の戸数52、人口284人であった。明治22年(1889年)4月の町村制施行により、梶原、上町屋、手広、寺分、常盤、笛田と合併して深沢村が誕生し大字となった。
昭和23年(1948年)1月、深沢村が鎌倉市と合併した際に鎌倉市の大字となる。昭和42年(1967年)2月、住居表示により山崎の一部が台一丁目、二丁目となった。
地価
[編集]住宅地の地価は、2022年(令和4年)7月1日の公示地価によれば、山崎字前田1170番2の地点で19万6000円/m2となっている[7]。
世帯数と人口
[編集]2023年(令和5年)9月1日現在(鎌倉市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
山崎 | 2,511世帯 | 5,563人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 4,673
|
2000年(平成12年)[9] | 4,128
|
2005年(平成17年)[10] | 4,815
|
2010年(平成22年)[11] | 5,188
|
2015年(平成27年)[12] | 5,391
|
2020年(令和2年)[13] | 5,549
|
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[8] | 1,762
|
2000年(平成12年)[9] | 1,680
|
2005年(平成17年)[10] | 2,029
|
2010年(平成22年)[11] | 2,169
|
2015年(平成27年)[12] | 2,288
|
2020年(令和2年)[13] | 2,429
|
学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2017年7月時点)[14][15]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~28、 315~423 | 鎌倉市立玉縄小学校 | 鎌倉市立玉縄中学校 |
29~314、425~442、445~449、451~454 456、458~563、568~576、661~710 720~735、878~903、972 |
鎌倉市立富士塚小学校 | |
795~802、840~855、877、904〜971 1467~1469、1478、1491-3〜4、1493~1495 1574-6~22、1574-28 |
鎌倉市立深沢中学校 | |
424、443〜444、450、455、457 564~567、577~660、711~719、736~794 803~839、856~876、973~1466、1470~1472 1480~1490、1491-1〜2、1492、1499~1573 1574-1~5・23~27、1576~2824 |
鎌倉市立山崎小学校 | 鎌倉市立大船中学校 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[16]。
大字 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
山崎 | 80事業所 | 1,581人 |
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[17] | 87
|
2021年(令和3年)[16] | 80
|
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[17] | 1,346
|
2021年(令和3年)[16] | 1,581
|
施設
[編集]行政施設
[編集]- 鎌倉中央公園
- 鎌倉武道館
- 山崎浄化センター
寺社・旧跡
[編集]その他
[編集]その他
[編集]日本郵便
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “町丁字別・地域別人口と世帯数(国勢調査基準・各月・平成13年~)” (XLSX). 鎌倉市 (2023年9月12日). 2023年9月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “令和4年(2022年)版 鎌倉の統計” (PDF). 鎌倉市. 2023年8月14日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “山崎の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b 新編相模国風土記稿.
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2023年8月9日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。
参考文献
[編集]- 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
- 「山之内庄山崎村」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之98村里部鎌倉郡巻之30、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/39。
藤沢市小塚 | 岡本 | |||
上町屋 | 台 | |||
山崎 | ||||
寺分 | 梶原 | 山ノ内 |