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山内豊景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山内豊景

山内 豊景(やまうち とよかげ、1875年明治8年〉9月20日 - 1957年昭和32年〉1月5日)は、日本の華族陸軍軍人侯爵。最終階級は陸軍少佐

略歴

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1875年(明治8年)9月9日、土佐藩最後の藩主・侯爵山内豊範の長子として誕生する。1886年(明治19年)9月、父の死去により襲爵する。その後、フランスに留学した。

1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業。1900年(明治33年)6月に陸軍歩兵少尉任官、のち陸軍少佐にまで昇進する。日露戦争に従軍し功を立てる。

1900年(明治33年)8月21日、満25歳に達し貴族院侯爵議員に就任し[1][2]1946年(昭和21年)5月8日[3]まで在職した。1901年(明治34年)、伏見宮貞愛親王の長女禎子と結婚する。1911年(明治44年)1月20日、麝香間祗候となる[4]

山内豊静の次男山内豊秋を養子とする。

1957年(昭和32年)、高知市横浜の私邸で没す。81歳。

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族

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備考

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本邸は東京参宮橋に構えたが、大磯上総一宮に別荘を構えた。また、新宿区市谷田町2丁目にも923.98坪の土地を所有していたが[19]、戦後の1948年(昭和23年)10月に法政大学に売却している[19]。この土地には62年館が建設され、現在は法政大学市ケ谷田町校舎となっている[20]

脚注

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  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、11頁。
  2. ^ 『官報』第5143号、明治33年8月23日。
  3. ^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。
  4. ^ 『官報』第8273号、明治44年1月21日。
  5. ^ 『官報』第7051号「叙任及辞令」1906年12月28日。
  6. ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
  7. ^ 『官報』第373号「叙任及辞令」1928年3月29日。
  8. ^ 『官報』第4198号「叙任及辞令」1897年7月1日。
  9. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  10. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  11. ^ 『官報』第3698号「彙報 - 藍綬褒章下賜」1924年12月18日。
  12. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  13. ^ 『官報』第2099号「彙報 - 褒章」1933年12月29日。
  14. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。
  15. ^ 『官報』第3700号「彙報 - 褒章」1939年5月10日。
  16. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  17. ^ 『官報』第7775号「叙任及辞令」1909年5月28日。
  18. ^ a b c d e 『官報』第7874号「叙任及辞令」1909年9月21日。
  19. ^ a b 法政大学百年史年表 59頁(『法政大学百年史』所収)
  20. ^ 法政大学 市ケ谷キャンパス内史跡”. HOSEI ONLINE (2016年5月2日). 2020年11月3日閲覧。

関連項目

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日本の爵位
先代
山内豊範
侯爵
(高知)山内家第2代
1886年 - 1947年
次代
華族制度廃止