Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

尚豊王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尚豊王
琉球国王
尚豊王の御後絵向元瑚画、1796年
在位 1621年-1640年

全名 尚豊
神号 天喜也末按司添
名乗 朝昌
出生 1590年12月9日
死去 1640年6月23日(満49歳没)
埋葬 1640年
琉球国首里玉陵
王世子 尚賢王
配偶者 我謝上村按司加那志
  君豊見按司加那志
子女 別記
家名 第二尚氏
王朝 第二尚氏王統
父親 尚久
母親 金武大按司加那志
サイン
テンプレートを表示

尚豊王(しょうほうおう、1590年12月9日万暦18年11月13日) - 1640年6月23日崇禎13年5月4日))は、琉球王国第二尚氏王統の第8代国王(在位1621年 - 1640年)。童名は思五郎金。神号は天喜也末按司添(てにぎやすゑあんじおそい)。

第5代国王尚元王の三男の尚久・金武王子朝公の四男。始め佐敷王子朝昌と称した。尚賢王尚質王の父。

1636年(崇禎9年)、琉球国王の王号を薩摩藩から剥奪され、琉球国司を名乗る。

家族

[編集]
  • 父 - 尚久
  • 母 - 金武大按司加那志
  • 妃 - 我謝上村按司加那志:童名・真銭金、号・梅岩。1597年(万暦25年) - 1614年7月26日(万暦42年6月20日)。具志頭王子朝盛長女。
  • 継妃 - 君豊見按司加那志:童名・思真牛金、号・蘭閨。1589年1月6日(万暦16年11月20日) - 1661年6月29日(順治18年6月4日)。名護親方良豊三女。
  • 夫人
    • 西之按司加那志:童名・真鍋樽金、号・涼月。1597年(万暦25年) - 1634年6月25日(崇禎7年6月1日)。松氏一世大見武親雲上定昌の娘。
    • 眞南風按司:童名・乙美金、号・蘭室。1592年(万暦20年) - 1658年5月5日(順治15年4月4日)。呉氏五世幸地親方宗廣長女。
    • 真南風按司:童名・真鍋樽金、号・南岳。1606年7月(万暦34年6月) - 1637年5月9日(崇禎10年4月15日)。楽氏四世田名掟親雲上昌敷の娘。
  • 妻 - 与那原阿護母志良礼:号・苑叢。童名、生没年不詳。与那原村平敷親雲上の娘。
  • 子女
    • 長男 - 尚恭、浦添王子朝良:童名・真三良金、号・良春。1612年3月8日(万暦40年2月6日) - 1631年3月22日(崇禎4年2月20日)。 母は妃。享年20。
    • 次男 - 尚文、中城王子朝益:童名・真牛金、号・徳声。1614年7月26日(万暦42年6月20日) - 1673年2月18日(康熙12年1月2日)。母は妃。病弱で即位せず。埋葬地は末吉陵。
    • 三男 - 尚賢、久米中城王子:母は涼月。後即位する。
    • 四男 - 尚質、佐敷王子:母は涼月。後即位する。
    • 長女 - 首里大君按司加那志:童名・思乙金、号・徹心。1613年7月7日(万暦41年5月20日) - 1679年4月24日(康熙18年3月14日)。向氏喜屋武殿内三世・具志川按司朝安に嫁ぐも離別。後、向氏阿波根殿内一世・摩文仁按司朝明に嫁ぐ。
    • 次女 - 沢岻翁主:童名・思真鍋樽金、号・碧蓮。生日不伝 - 1651年6月3日(順治8年4月16日)。母は涼月。向氏喜屋武殿内四世具志川按司朝庸に嫁ぐ。
    • 三女 - 嶋尻佐司笠按司加那志:童名・真蜷甲金、号・剛心。生日不伝 - 1681年11月22日(康熙20年10月13日)。母は南岳。向氏嘉味田殿内四世喜屋武按司朝古へ嫁ぐ。
    • 四女 - 与那城翁主:童名・真鶴金、号・玄禎。生日不伝 - 1679年11月26日(康熙18年10月24日)。母は南岳。野村殿内六世大城親方朝誠に嫁ぐ。
  • 正使:杜三策(戸科左給事中)
  • 副使:楊掄(行人司行人)

登場作品

[編集]
先代
尚寧王
第二尚氏8代琉球国王
1621年 - 1640年
次代
尚賢王