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川村鉄太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川村鉄太郎

川村 鉄太郎(かわむら てつたろう、1870年6月22日明治3年5月24日) - 1945年昭和20年)4月23日[1])は、日本の官僚伯爵貴族院議員。正二位勲三等

経歴

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鹿児島生まれ。伯爵・川村純義の長男。東上し慶應義塾幼稚舎に学ぶ。横浜に赴き英語を研究。1886年(明治19年)、イギリスに赴きケンブリッジのリース学校に学び、ロンドンの理化学院に学ぶ。1897年(明治30年)日本勧業銀行に入り勘定役となる。のちに辞して皇孫(後の昭和天皇)の御用となる。1905年(明治38年)襲爵する。1907年(明治40年)11月16日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[2]、1939年(昭和14年)7月9日まで貴族院議員を5期務めた[1]。 また、その傍ら実業界にも進出。東洋火災海上保険、東海生命、京浜運河、帝国蓄電池、旭紡績の取締役も務めた[3]

墓所は多磨霊園

妻は大久保春野の娘・安。長女は阪本釤之助の子・瑞男に、二女は柳原白蓮の異母兄・柳原義光に、三女はバロン西こと西竹一にそれぞれ嫁いだ。三男の純之助は大久保春野の養子となり、大久保光野と改名した。小松揮世久は曾孫。

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』25頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、16頁。
  3. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、586頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  4. ^ 『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。
  5. ^ 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
  6. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  7. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1938年2月11日。

参考文献

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日本の爵位
先代
川村純義
伯爵
川村(純義)家第2代
1905年 - 1945年
次代
川村雅彦