Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

嵐を呼ぶ男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

嵐を呼ぶ男』(あらしをよぶおとこ)は、1957年1966年1983年に公開された日本映画ドラマーの男性と芸能マネージャーの女性の恋および、男性の挫折が描かれる。

特に1957年の石原裕次郎主演版は、石原の代表作に数えられており、石原自身が歌った主題歌62万枚のヒットを記録した。1966年版は渡哲也が、1983年版は近藤真彦が主演した。

1957年版

[編集]
嵐を呼ぶ男
新横浜ラーメン博物館に内装として掲げられた本作のイメージ
監督 井上梅次
脚本 井上梅次
西島大
原作 井上梅次
製作 児井英生
出演者 北原三枝
石原裕次郎
音楽 大森盛太郎
主題歌 石原裕次郎
嵐を呼ぶ男
撮影 岩佐一泉
編集 鈴木晄
製作会社 日活
配給 日活
公開 日本の旗 1957年12月28日
上映時間 100分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 3億4880万円[1]
テンプレートを表示

1957年12月28日公開。カラーシネマスコープ(冒頭「日活スコープ」と表示)、100分。

ストーリー(1957年版)

[編集]

東京・銀座。ナイトクラブの専属ジャズバンド「福島慎介とシックスジョーカーズ」が人気を博していた。ある夜、音楽大学の学生・国分英次がクラブを訪ね、バンドのマネージャーで慎介の妹・福島美弥子に、ドラマーとして自身の兄・国分正一を売り込むが、バンドにはすでに人気ドラマーのチャーリー・桜田が在籍していた。ある夜、チャーリーが急に無断で仕事を休んだため、美弥子は正一を呼ぶために英次に連絡を取る。正一は喧嘩騒ぎを起こして留置場に入っていた。美弥子が身元引受人になり、ステージに出して評判を得る。実はチャーリーは酔客相手の演奏に嫌気が差し、商売敵の芸能プロモーター・持永の事務所の引き抜きに応じていた。

チャーリーがバンドを脱退したため、美弥子は正一をバンドに正式加入させ、練習のため自宅に住まわせる。音楽評論家の左京徹は正一に「美弥子との仲を取り持ってくれるなら正一を宣伝する」と持ちかけ、正一は応じる。左京は約束通りテレビで正一を持ち上げ、正一とチャーリーのドラムス対決公演を提案する。しかし公演の前日、チャーリーを勝たせたい持永が子分を放って正一に喧嘩を吹っかけたことで、正一は左手を負傷してしまう。

公演では、チャーリーの演奏が優位であったが、正一は右手だけでドラムスを叩きながら歌い、観客の喝采を浴びる。歌うジャズドラマーとして売れっ子になった正一は、やがて美弥子と結ばれる。英次もクラシックとジャズを融合した現代音楽の作曲家・指揮者として芽が出始め、ラジオ中継による初リサイタルが決まる。

正一と美弥子が関係を持ったことを知った左京は怒り、正一に美弥子の元を去って持永の事務所に移籍するよう迫ると同時に、英次のデビューへの妨害工作をも示唆する。正一は止むなく美弥子に別れを告げ、母・貞代の住むアパートに立ち寄る。正一の素行に愛想を尽かし、また音楽を認めない貞代は、英次がアパートの大家の娘・島みどりと婚約したことを告げ、「お前はみんなの幸せを壊すことしかできない」と詰って正一を追い返す。行き場を失った正一は、持永の愛人であるダンサーのメリー・丘の元に身を寄せる。ふたたび持永の怒りを買った正一は、子分たちに右手をつぶされ、ドラマーとして完全に再起不能となる。そこには持永と結託した左京の姿もあった。やがて正一は入院先の病院から行方をくらます。

英次のオーケストラのリサイタルの日、正一は行きつけのバーでラジオから流れる英次の曲を聞いていた。美弥子は正一には歌手としての再起の可能性があると信じ、貞代もまた弟を救うために自らの才能を犠牲にした正一の本心を思い知る。二人は正一を探し当て、母子はようやく和解するのだった。

キャスト(1957年版)

[編集]

スタッフ(1957年版)

[編集]

製作(1957年版)

[編集]
  • 北原三枝演じるヒロインのモデルは、当時女性マネージャーの嚆矢として注目を集めていた渡辺美佐である。
  • 「歌手」役の平尾昌章(平尾昌晃)は冒頭でロカビリーを歌っている。
  • 石原のドラムス演奏シーンにおける演奏音の「アテレコ」は白木秀雄が行っている。映画のラストを飾るオーケストラの演奏シーンには白木自身が登場する。
    • 主題歌シングル盤の伴奏も白木らにより編成された「白木秀雄とオールスターズ」の演奏である[3]
  • 主題歌の途中に出てくる台詞が、劇中のものとレコード版では若干の違いがある。
    • 劇中では「この野郎、かかって来い! 最初はジャブだ、左アッパーだ、右フックだ! ちきしょうやりやがったな、倍にして返すぜ! チンだ、ボディだ、ボディだ、チンだ! えーい面倒だ、これでノックアウトだ!あれあれ、のびちゃった!」。
    • レコード版では「この野郎、かかって来い! 最初はジャブだ、ほら右パンチ、おっと左アッパー、ちきしょうやりやがったな、倍にして返すぜ! フックだ、ボディだ、ボディだ、チンだ! えーい面倒だ、これでノックアウトだ!」。

評価(1957年版)

[編集]
  • 観客動員数は約594万人。

その他(1957年版)

[編集]
  • 2004年テレビ朝日で放送されたドラマ『』において、本作のドラム合戦がセリフやBGMも同じに再現されている。国分を演じる石原裕次郎役を徳重聡が、チャーリーを演じる笈田敏夫役を中山秀征が演じた。

外部リンク(1957年版)

[編集]

1966年版

[編集]
嵐を呼ぶ男
監督 舛田利雄
脚本 池上金男
原作 井上梅次
出演者 渡哲也
芦川いづみ
音楽 伊部晴美
主題歌 渡哲也
「嵐を呼ぶ男」
撮影 萩原憲治
編集 井上親彌
製作会社 日活
配給 日活
公開 日本の旗 1966年12月10日
上映時間 95分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

渡哲也主演による石原版のリメイク。1966年12月10日公開。カラー、シネマスコープ、95分。

設定が若干変更されており、主人公の弟の職業が音楽家ではなくレーサーになっている。また、石原版では死去した設定の正一・英次兄弟の父親(演:宇野重吉)が登場し、ラストシーンは正一と父親がテレビで英次が出場しているカーレースを一緒に観戦するものとなっている(英次のゴール前に正一は優勝を確信し、美弥と立ち去る)。ドラム合戦のシーンでは、ライバルの策略にはまり手を怪我するのは石原版と同様であるが、その怪我が原因でスティックの片方を床に落としてしまい、ドラムが叩けなくなったために歌い出す、という描写になっている。

また歌の途中の台詞も、「そら! そら! そら! お前は俺の弟よ、俺の心はお前の心だ! そーら、ドラムが俺を呼んでるぜ! それ! 恋だ! 喧嘩だ! お祭りだ! よーし俺に任せろ、それっ、シンバルだ!」というものに変更されている。

キャスト(1966年版)

[編集]

スタッフ(1966年版)

[編集]

外部リンク(1966年版)

[編集]

1983年版

[編集]
嵐を呼ぶ男
監督 井上梅次
脚本 井上梅次
播磨幸児
原作 井上梅次
製作 小倉斉
ジャニー喜多川
出演者 近藤真彦
野村義男
田原俊彦
坂口良子
音楽 大谷和夫
主題歌 近藤真彦
ためいきロ・カ・ビ・リー
撮影 姫田真佐久
編集 黒岩義民
製作会社 東宝映画
ジャニーズ事務所
配給 東宝
公開 日本の旗 1983年8月4日
上映時間 132分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 8.5億円[4]
テンプレートを表示

1983年8月4日公開。カラー、アメリカンビスタ、132分。近藤真彦主演映画としては第4作目で、「たのきんスーパーヒットシリーズ」第6弾。たのきんトリオシリーズの実質的な最終作となった。石原裕次郎版の監督である井上梅次がふたたびメガホンをとった。設定はジャズバンドからロックバンドに変更されている。

封切り時の同時上映作品は『Love Forever』(主演:田原俊彦)。

製作(1983年版)

[編集]

近藤に合わせるため、「嵐を呼ぶ男」のサビに新たな歌詞が追加されている[要出典]

評価(1983年版)

[編集]

裏に角川映画の「探偵物語」と「時をかける少女」が投入されたため興行的に惨敗し[要出典]、ヒットしなかった[5]

このため田原俊彦主演の1984年の正月映画として、井上梅次監督自身による1957年の映画『鷲と鷹』のリメイクが構想されていたが、実現に至らなかった[5]。「裕次郎にこだわるのはもう得策ではないのではないか」という意見が出て[5]、企画は舛田利雄監督の『エル・オー・ヴィ・愛・N・G』になった(はじめ舛田は『太陽と狩人(たいようとハンター)』というオリジナル作品を構想していた)[5]

キャスト(1983年版)

[編集]

スタッフ(1983年版)

[編集]

サウンドトラック(1983年版)

[編集]

外部リンク(1983年版)

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)138頁
  2. ^ 嵐を呼ぶ男 - 日活
  3. ^ 石原裕次郎 - 嵐を呼ぶ男 画像”. Discogs. 2019年5月31日閲覧。
  4. ^ 「1983年邦画4社<封切配収ベスト作品>」『キネマ旬報1984年昭和59年)2月下旬号、キネマ旬報社、1984年、116頁。 
  5. ^ a b c d 「雑談えいが情報 『鍵』はどうした? あの『スパルタの海』もとうとうオクラ!?」『映画情報』、国際情報社、1983年11月号、61頁。