Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

安原達佳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
安原 達佳
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岡山県倉敷市
生年月日 (1936-03-05) 1936年3月5日
没年月日 (2015-04-01) 2015年4月1日(79歳没)
身長
体重
179 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手 外野手
プロ入り 1954年
初出場 1954年5月2日[1]
最終出場 1963年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

安原 達佳(やすはら たつよし、のち渡邉に改姓、1936年3月5日 - 2015年4月1日)は、岡山県出身[1]プロ野球選手。ポジションは投手外野手

来歴・人物

[編集]

倉敷工業では、1年上の古川啓三ともバッテリーを組むが甲子園出場はならなかった。他のチームメートに、後にプロで同僚となる外野手の小寺好雄がいる。

1954年読売ジャイアンツへ入団。2年目の1955年には先発の一角として37試合に登板して12勝(8敗)を挙げ、防御率1.74とリーグ5位につけた。この年の南海ホークスとの日本シリーズでは、第3戦・第4戦・第5戦にリリーフとして登板し、第6戦は先発するが、1回から打ち込まれてこの回で早くも降板となった。翌1956年は別所の27勝に次ぐ15勝(7敗)を挙げ、この年もリーグ優勝するが、西鉄ライオンズとの日本シリーズでは中継ぎで1試合のみの登板に終わる。

1957年は故障もあって未勝利に終わる。1958年に投球フォームを横手投げに改造[2]してカムバックし、同年14勝を挙げる。1959年も12勝、防御率2.69(リーグ10位)を記録し、両年ともエースであった藤田元司に次ぐ勝ち星を挙げた。

1960年再び故障によって未勝利に終わると、1961年からは外野手に転向。同年は4月からチャンスメーカーとして起用され、43試合に先発出場。同年の南海ホークスとの日本シリーズでも、2試合に代打として出場した。翌1962年も準レギュラーとして起用されるが、1963年には出場機会が減り、同年限りで引退

その後は妻の実家が経営する赤羽冶金に勤務し、1978年から社長に就任した[2]

2015年4月1日死去[3]。79歳没。

プレイスタイル

[編集]

スナップを効かせた投球で、調子の良い時は指先が風を切るようなピシッと言う音がベンチまで聞こえるほどであった。速球のスピードもあり、カーブシュートも切れがあったが、身体が硬く一本調子な投球になりがちで長続きしなかった[4]

投手としては打撃も優れており[5]、故障後は野手に転向したが、変化球に弱いところがあった[4]

人物

[編集]

当時同僚であった馬場正平(ジャイアント馬場)と並ぶ大食漢であった。合宿所の夕食では米飯はおかわり自由であったが、安原と馬場は外食のため食べない選手の分のおかずをお互いに争うように確保していた。また、合宿所の玄関にファンが食べ物の差し入れを持ってくると、本人より早く飛んできて、差し入れをもらった選手に部屋まで同行し、その場ですぐに開封させて、本人が1つ食べる間に3,4個も食べ、あっという間に平らげてしまっていたという[4]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1954 巨人 27 6 0 0 0 3 2 -- -- .600 353 81.0 84 7 32 -- 3 43 4 0 35 28 3.11 1.43
1955 37 27 8 4 1 12 8 -- -- .600 777 195.1 144 11 64 1 3 98 3 0 48 38 1.74 1.06
1956 45 26 8 1 1 15 7 -- -- .682 870 216.0 179 14 47 1 2 89 2 0 87 65 2.71 1.05
1957 5 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 36 7.2 11 0 3 0 0 1 0 0 5 5 5.63 1.83
1958 39 22 7 3 3 14 10 -- -- .583 743 189.2 151 17 30 5 3 97 5 0 65 57 2.70 0.95
1959 44 22 5 2 0 12 8 -- -- .600 856 214.0 175 17 48 0 10 116 2 0 74 64 2.69 1.04
1960 12 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 114 23.2 35 8 8 0 3 10 0 0 28 22 8.25 1.82
通算:7年 209 104 28 10 5 56 36 -- -- .609 3749 927.1 779 74 232 7 24 454 16 0 342 279 2.71 1.09
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1954 巨人 27 25 23 2 3 0 0 0 3 2 0 0 2 0 0 -- 0 6 0 .130 .130 .130 .261
1955 37 75 72 7 25 6 0 0 31 4 0 0 3 0 0 0 0 15 0 .347 .347 .431 .778
1956 45 81 74 10 20 3 0 1 26 4 0 0 5 1 1 0 0 12 0 .270 .280 .351 .631
1957 17 15 15 1 2 0 0 1 5 2 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .133 .133 .333 .467
1958 39 68 63 7 15 1 0 3 25 8 0 0 4 1 0 0 0 19 1 .238 .238 .397 .635
1959 46 77 71 3 10 3 1 1 18 5 0 0 4 0 2 0 0 20 2 .141 .164 .254 .418
1960 13 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1961 86 173 155 19 34 5 1 1 44 5 3 1 2 0 15 0 1 35 3 .219 .292 .284 .576
1962 56 83 74 5 11 0 1 0 13 2 2 0 2 0 6 0 1 13 0 .149 .222 .176 .398
1963 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:10年 367 605 555 54 120 18 3 7 165 32 5 1 22 2 24 0 2 129 6 .216 .251 .297 .549

背番号

[編集]
  • 44 (1954年)
  • 32 (1955年 - 1956年途中、1961年 - 1963年)
  • 17 (1956年途中 - 1960年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『週刊ベースボール』78頁。
  2. ^ a b 『週刊ベースボール』79頁。
  3. ^ 巨人OB渡辺達佳氏死去、旧姓は安原”. 日刊スポーツ (2015年4月3日). 2016年2月8日閲覧。
  4. ^ a b c 『巨人軍の男たち』165頁
  5. ^ “巨人菅野、来季目標は打率3割 こだわりバット注文”. 日刊スポーツ. (2017年12月9日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201712090000040.html 2020年2月20日閲覧。 

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]