大津幸四郎
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おおつ こうしろう 大津 幸四郎 | |
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生年月日 | 1934年 |
没年月日 | 2014年11月28日 |
出生地 | 日本 静岡県 |
死没地 | 日本 東京都足立区 |
職業 | 映画監督、撮影監督 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1967年 - 2014年 |
主な作品 | |
『全身小説家』 |
大津 幸四郎(おおつ こうしろう、1934年 - 2014年11月28日)は、日本の映画監督、撮影監督である。
経歴
[編集]1934年、静岡県に生まれる[1]。1958年、静岡大学文理学部を卒業し、岩波映画製作所に入社[1]。1963年、同社を退社し、フリーランスのキャメラマンに転身[2]。土本典昭や小川紳介の監督によるドキュメンタリー映画で撮影を手がけた[3]。2014年、代島治彦との共同監督による『三里塚に生きる』が公開される[4]。
2014年11月28日、東京都足立区内の病院に於いて、肺がんのため死去[5]。80歳歿。
フィルモグラフィー
[編集]- 圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録(1967年) - 撮影
- 現認報告書 羽田闘争の記録(1967年) - 撮影
- 日本解放戦線 三里塚の夏(1968年) - 撮影
- パルチザン前史(1969年) - 撮影
- 水俣 患者さんとその世界(1971年) - 撮影
- 水俣一揆 一生を問う人々(1973年) - 撮影
- 不知火海(1975年) - 撮影
- 医学としての水俣病(1975年) - 撮影
- 鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い(1975年) - 撮影
- 難病「再生不良貧血性」と闘う 君はいま光のなかに(1978年) - 撮影
- きらめきの季節(1980年) - 撮影
- 泪橋(1983年) - 撮影
- おもしろ学校のいち日 名取弘文の公開授業(1985年) - 撮影
- ゆんたんざ沖縄(1987年) - 撮影
- 出張(1989年) - 撮影
- 映画の都(1991年) - 撮影
- 魂の風景 大野一雄の世界(1991年) - 撮影
- 狭山事件 石川一雄・獄中27年(1991年) - 撮影
- アイランズ 島々(1993年) - 撮影
- 全身小説家(1994年) - 撮影
- 黄昏のアインシュタイン(1994年) - 撮影
- 花子(2001年) - 撮影
- チョムスキー 9.11(2002年) - 撮影
- 三池 終わらない炭鉱の物語(2005年) - 撮影
- エドワード・サイード Out of Place(2005年) - 撮影
- 大野一雄 ひとりごとのように(2005年) - 監督・撮影
- まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎(2011年) - 出演
- はだしのゲンが見たヒロシマ(2011年) - 撮影
- 三里塚に生きる(2014年) - 共同監督・撮影
著書
[編集]- 撮影術 映画キャメラマン大津幸四郎の全仕事(2013年、以文社)
脚注
[編集]- ^ a b “日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 17 - 大津幸四郎”. 山形国際ドキュメンタリー映画祭. 2014年11月4日閲覧。
- ^ “大津幸四郎 - ドキュメンタリー・コース”. 映画美学校. 2014年11月4日閲覧。
- ^ “『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』 - 特集上映「反権力のポジション キャメラマン大津幸四郎」 - 大津幸四郎(キャメラマン)×鎌仲ひとみ(ドキュメンタリー監督)トーク”. 映画芸術 (2011年6月13日). 2014年11月4日閲覧。
- ^ “「小川以後」という強迫からの解放こそが「小川以後」を感動的に告げる - 『三里塚に生きる』”. 神戸映画資料館 (2014年11月4日). 2014年11月4日閲覧。
- ^ 映画監督の大津幸四郎さん死去 日刊スポーツ 2014年11月28日閲覧