外神田
外神田 | |
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神田明神(神田神社) 拝殿 | |
北緯35度42分3.36秒 東経139度46分10.68秒 / 北緯35.7009333度 東経139.7696333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 千代田区 |
地域 | 神田地域 |
人口 | |
• 合計 | 3,895人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
101-0021[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 品川 |
外神田(そとかんだ)は、東京都千代田区の地名。住居表示実施済み。現行行政地名は外神田一丁目から外神田六丁目。郵便番号は101-0021[2]。
地理
[編集]東京都千代田区のうち神田川の北側に張り出した位置にあり、一般的に秋葉原と呼ばれている地区にほぼ相当する。千代田区・神田地域(旧:神田区)の最北端に位置し、文京区(湯島)、台東区(上野)との区境に当たる。
歴史
[編集]1878年11月2日の郡区町村編制法施行以降、この区域は神田区に属した。1947年3月15日に神田区は麹町区と合併して千代田区が誕生したため、以降千代田区の一部となった。1964年12月1日に、千代田区内では最初に住居表示が実施された。これにより、古くから続く町名の多くが消滅した。
本住居表示実施に対しては、町名保存を求める運動へとつながった(さらに、区議会が全会一致で住居表示実施案の見直しを採択したり、区長の辞任騒動にまで発展した)。この影響もあり神田相生町・神田花岡町・神田練塀町・神田佐久間町一丁目の各一部と神田松永町では、住居表示が実施されないまま現在に至っている。
地名の由来
[編集]江戸府内より見て神田川(外堀)の外側を「外神田」(内側は「内神田」)と称したことが名前の由来で、1964年の住居表示実施による町名変更の際、この名が新町名に採用された。
明治の町割整理
[編集]明治2年(1869年)、まず町人地において町割の整理が始まった。
- 神田旅籠町一丁目
- 神田旅籠町二丁目 - 本郷五丁目代地、本郷六丁目代地、湯島学問所御掃除屋敷、湯島三丁目代地、神田明神門前町代地、湯島一丁目代地を編入
- 神田旅籠町三丁目 - 講武所付町屋敷が改称
- 神田金沢町
- 神田花房町 - 神田通船屋敷を編入
- 神田佐久間町一丁目 - 神田柳屋敷を編入
- 神田平河町 - 麹町平河町一丁目代地が改称
- 神田竹町 - 牛込肴町代地、牛込袋町代地が合併、通称を取る
- 神田花田町 - 神田花房町代地、神田須田町二丁目代地南側、神田仲町一丁目北側、神田仲町三丁目北側が合併
- 神田仲町一・二丁目 - 入り組んでいた境界を整理
- 神田亀住町 - 神田六軒町、柳原大門町、神田八軒町、上野町代地が合併
- 神田田代町 - 神田須田町二丁目代地北側、神田小柳町三丁目代地、神田九軒町代地、神田松下町一丁目代地、神田花房町代地、柳原岩井町代地、神田山本町代地西側が合併して神田田代町
- 神田山本町 - 神田山本町代地東側、神田御弓師屋敷が合併
- 神田松富町 - 神田松下町二丁目北側代地・神田松下町三丁目北側代地、永富町三丁目代地が合併
- 神田末広町 - 神田平永町代地、柳原岩井町代地、麹町平河町一丁目代地切地、神田山本町代地飛地、柳原岩井町代地受領屋敷が合併
- 神田台所町 - 神田明神下御台所町、神田明神下御賄手代屋敷が合併
- 神田同朋町 - 神田明神下同朋町が改称
- 神田宮本町 - 神田明神門前町、神田明神表門前、神田明神裏門前、神田明神西町が合併
同年12月12日、神田相生町より火災が発生した。この影響で、神田亀住町全部、神田竹町全部、神田佐久間町一丁目一部(旧神田柳屋敷含む)、神田平河町西側、神田松永町大通・中通、神田相生町飛地が火除地となり、豊前小倉藩小笠原家中屋敷に代地を与えられ、以下の町が成立した。
- 神田栄町 - 屋敷地南部
- 神田元佐久間町 - 屋敷地中央部
- 神田亀住町 - 屋敷地北部
明治5年(1872年)、武家地にも町名が設定され、各々隣接する町に編入されるなどした。
- 神田金沢町 - 大岡家等旗本5軒の武家地を編入
- 神田山本町 - 東隣の武家地(通称新屋敷)を編入
- 神田松富町 - 通り沿い5軒の武家地を編入
- 神田末広町 - 越後村松藩堀家上屋敷、その他武家地を編入
- 神田五軒町 - 信濃上田藩藤井家下屋敷、安房勝山藩酒井家上屋敷、播磨林田藩建部家上屋敷、下野黒羽藩大関家上屋敷、上総久留里藩黒田家上屋敷が合併
- 神田台所町 - 西隣の武家地を編入
- 神田同朋町 - 信濃岩村田藩内藤家上屋敷、旗本黒田家屋敷を編入
- 神田松住町 - 湯島横町が改称
- 神田宮本町 - 神田明神社地、書籍館(旧昌平坂学問所)を編入
明治7年(1874年)火除地に神田花岡町が設定され、一応の整理が完了した。
明治〜昭和期の旧町名
[編集]- 外神田一丁目
- 神田旅籠町二丁目 / 神田旅籠町三丁目 / 神田仲町一丁目 / 神田仲町二丁目 / 神田花房町 / 神田花田町 / 神田相生町 / 神田花岡町 / 神田佐久間町一丁目(一部)
- 外神田二丁目
- 神田台所町 / 神田松住町 / 神田宮本町 / 神田同朋町(一部)
- 外神田三丁目
- 神田金沢町 / 神田末広町 / 神田旅籠町一丁目
- 外神田四丁目
- 神田田代町 / 神田松富町 / 神田山本町 / 神田花田町 / 神田相生町 / 神田練塀町(一部)
- 外神田五丁目
- 神田栄町 / 神田亀住町 / 神田元佐久間町
- 外神田六丁目
- 神田五軒町 / 神田同朋町(一部)
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
外神田一丁目 | 134世帯 | 188人 |
外神田二丁目 | 691世帯 | 1,110人 |
外神田三丁目 | 371世帯 | 622人 |
外神田四丁目 | 484世帯 | 881人 |
外神田五丁目 | 183世帯 | 335人 |
外神田六丁目 | 458世帯 | 759人 |
計 | 2,321世帯 | 3,895人 |
小・中学校の学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
外神田一丁目 | 全域 | 千代田区立昌平小学校 | 千代田区立麹町中学校 千代田区立神田一橋中学校 |
外神田二丁目 | 全域 | ||
外神田三丁目 | 全域 | ||
外神田四丁目 | 全域 | ||
外神田五丁目 | 全域 | ||
外神田六丁目 | 全域 |
交通
[編集]- 中央通り
- 東京都道403号大手町湯島線(昌平橋通り)
- 東京都道405号外濠環状線
- 蔵前橋通り
施設
[編集]- 公共機関
- 教育機関
- 千代田区立昌平小学校 - 昌平幼稚園も同敷地内にある。
- 千代田区立昌平幼稚園
観光
[編集]- 名所
- 史跡・旧跡
- 東京師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校) - 設立当初は神田区宮本町に存在。
- 千代田区立芳林小学校・幼稚園 - 家塾「芳林堂」を前身とする。現在の昌平小学校・幼稚園。
- 神田の家 - 千代田区指定有形文化財
- 東京市中央卸売市場神田分場 - 昭和3年に神田多町から移転、平成元年に大田市場へ統合。現在もJR明神坂ガード下にわずかに市場跡が残る。
出身人物
[編集]- 平井伸治(官僚、政治家) - 鳥取県知事。全国知事会会長。
- 緒方恵美(声優、女優、歌手)
- 笠間杲雄(外交官) - 旧末広町出身。
- 幸田成友(歴史学者) - 旧山本町出身。
- 笹川臨風(歴史家、評論家、俳人) - 旧末広町出身。
- 柳家小袁治(落語家)
- ベイカー茉秋(柔道家)
- 五代目古今亭志ん生 ― 旧亀住町出身。
ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第10版 上』ウ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年10月2日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
関連項目
[編集]- バクステ外神田一丁目 - AKIBAカルチャーズZONE内のアイドル育成型エンターテインメントカフェ「AKIHABARAバックステ↔ジpass」に所属するアイドルキャストの総称。