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城昌茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
城昌茂
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 不明
死没 寛永3年(1626年
別名 織部、織部佐
墓所 東漸寺(熊谷市)
官位 和泉守
幕府 江戸幕府
主君 甲斐武田家徳川家康
氏族 城氏 (平氏)
父母 父:城景茂
長尾義景
城信茂、女子
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城 昌茂(じょう まさしげ)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将武田氏に仕えていたが、武田家没落後は徳川氏の旗本となる。小牧・長久手の戦い大坂の陣に参陣。城景茂の子。

経歴・人物

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城景茂と共に武田氏に仕えていた。 天正10年(1582年甲州征伐武田家が滅びると、父城景茂と共に徳川家康に拝謁し、以後徳川家に仕えた。のち天正12年(1584年小牧・長久手の戦い参陣、6000石の旗本となる。

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣奏者番(軍監)を務めたが、森忠政を諫められず、監督責任を問われ、近江国石山寺寛永3年(1626年)まで蟄居となった。江戸に戻る途中、信濃にて死去。

陣屋は熊谷市石原にあった。墓所は東漸寺(熊谷市)

注釈

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出典

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参考文献

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小柏正弘、「城和泉守昌茂と小柏氏」、みなせ文芸