坂本龍起
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坂本 龍起(さかもと たつき、1894年(明治27年)6月7日[1] - 1969年(昭和44年)11月1日[2])は、日本の外交官。駐ペルー公使。
経歴
[編集]福岡県福岡市出身[1]。1916年(大正5年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した[3]。外務属、外務事務官、外交官補、アメリカ合衆国大使館三等書記官、アルゼンチン公使館三等書記官、同二等書記官、ブエノスアイレス領事、モンテビデオ領事、廈門領事・台湾総督府事務官、外務書記官・拓務書記官、通商局第三課長、同第二課長、亜米利加局第一課長、同第二課長などを歴任[1][3]。1935年(昭和10年)、台湾総督府事務官・総督官房外事課長に転じ、1937年(昭和12年)にはベルギー大使館参事官となり、1939年(昭和14年)、興亜院華北連絡部文化部長に就任した[4]。1940年(昭和15年)、駐ペルー公使に任命され、駐ボリビア公使も兼ねた[4]。
退官後は北京興亜学院院長事務取扱を務めた。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]- ^ a b c 大衆人事録 1937.
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
- ^ a b 人事興信録 1937.
- ^ a b 日本官界名鑑 1942.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版(上)』人事興信所、1937年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。