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勝間田稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝間田稔

勝間田 稔(かつまた みのる、1843年1月13日天保13年12月13日)- 1906年明治39年)1月30日)は、日本幕末から明治期の武士長州藩士)、内務官僚県知事宮内省図書頭。幼名・百太郎。号・蝶夢、鉄琴。

経歴

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長門国阿武郡萩(現:萩市)で、長州藩士・勝間田盛稔(もりとし)の息子として生まれる。藩校明倫館で学ぶ。戊辰戦争に従軍。新発田本営軍監・若松在勤、越後府軍監、越後府判事試補などを務めた。

明治4年4月12日1871年5月30日)、山口県に入り、十二等出仕、大属(戸籍係)、中属、九等出仕などを歴任。1874年10月、山口県を退職し、地租引当米を管理する半官半民の防長協同会社頭取に就任。

1879年4月、内務省に入り内務権少書記官・取調局事務取扱に就任。以後、内務少書記官、警保局事務取扱、内務権大書記官・内局事務取扱、兼警保局長、内局第一課勤務、兼社寺局長、兼戸籍局長などを歴任。

1885年1月、愛知県令に登用され、1886年7月、地方官官制改正に伴い同県知事となる。以後、愛媛県宮城県新潟県の各知事を歴任。1901年1月、新潟県知事を休職。同年4月、宮内省図書頭に就任し、死去するまで在任。

栄典・受章・受賞

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位階
勲章等

著書

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  • 『雲来起予吟草』勝間田稔、1893年。
  • 『消夏遊草』松竜舎、1893年。
  • 『燧灘漁唱』勝間田稔、1893年。

脚注

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  1. ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。
  2. ^ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。
  3. ^ 『官報』第6774号「叙任及辞令」1906年2月1日。
  4. ^ 『官報』第1791号「叙任及辞令」1889年6月20日。
  5. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。

参考文献

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  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 高橋雄豺「勝間田 稔」『明治警察史研究』第4巻・前編、高橋雄豺、令文社、1972年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。


公職
先代
清岡公張
日本の旗 図書
1900年 - 1906年
次代
足立正声