勝間田稔
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勝間田 稔(かつまた みのる、1843年1月13日(天保13年12月13日)- 1906年(明治39年)1月30日)は、日本の幕末から明治期の武士(長州藩士)、内務官僚。県知事、宮内省図書頭。幼名・百太郎。号・蝶夢、鉄琴。
経歴
[編集]長門国阿武郡萩(現:萩市)で、長州藩士・勝間田盛稔(もりとし)の息子として生まれる。藩校・明倫館で学ぶ。戊辰戦争に従軍。新発田本営軍監・若松在勤、越後府軍監、越後府判事試補などを務めた。
明治4年4月12日(1871年5月30日)、山口県に入り、十二等出仕、大属(戸籍係)、中属、九等出仕などを歴任。1874年10月、山口県を退職し、地租引当米を管理する半官半民の防長協同会社頭取に就任。
1879年4月、内務省に入り内務権少書記官・取調局事務取扱に就任。以後、内務少書記官、警保局事務取扱、内務権大書記官・内局事務取扱、兼警保局長、内局第一課勤務、兼社寺局長、兼戸籍局長などを歴任。
1885年1月、愛知県令に登用され、1886年7月、地方官官制改正に伴い同県知事となる。以後、愛媛県・宮城県・新潟県の各知事を歴任。1901年1月、新潟県知事を休職。同年4月、宮内省図書頭に就任し、死去するまで在任。
栄典・受章・受賞
[編集]- 位階
- 勲章等
著書
[編集]- 『雲来起予吟草』勝間田稔、1893年。
- 『消夏遊草』松竜舎、1893年。
- 『燧灘漁唱』勝間田稔、1893年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 高橋雄豺「勝間田 稔」『明治警察史研究』第4巻・前編、高橋雄豺、令文社、1972年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
公職 | ||
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先代 清岡公張 |
図書頭 1900年 - 1906年 |
次代 足立正声 |