伊藤礼
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伊藤 礼(いとう れい、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 2023年〈令和5年〉9月22日)は、日本の英文学者、エッセイスト、翻訳家。元日本大学芸術学部教授。
生涯
[編集]大学在学中に体調を崩し、1955年(昭和30年)7月から3年間、富士見高原療養所に入院[1]。アメリカ合衆国のロードアイランド大学(en:University of Rhode Island)で政治学を学んだのち、帰国し広告代理店に勤務。退職後、日本大学で教えるようになり、2002年(平成14年)まで日本大学芸術学部教授を務めた。
2023年(令和5年)9月22日、病気のため東京都三鷹市の病院で死去[2][3][4][5]。90歳没。
人物
[編集]- 1991年(平成3年)『狸ビール』で講談社エッセイ賞受賞。
- 60代後半から自転車の愛好家となり、自転車にまつわるエッセーや著作がある。
- 父・整の訳書『チャタレイ夫人の恋人』の削除版の補訳を行った。
長年かけ『伊藤整日記』(全8巻、平凡社、2022年完結)も校訂刊行した。
著書
[編集]- 『伊藤整氏奮闘の生涯』(講談社) 1985
- 『伊藤整氏こいぶみ往来』(講談社) 1987
- 『狸ビール』(講談社) 1991、講談社文庫 1994
- 『まちがいつづき』(講談社) 1994
- 『パチリの人』(新潮社) 2000
- 『こぐこぐ自転車』(平凡社) 2005、平凡社ライブラリー 2011
- 『自転車ぎこぎこ』(平凡社) 2009
- 『大東京ぐるぐる自転車』(東海教育研究所) 2011、ちくま文庫 2014
- 『耕せど耕せど 久我山農場物語』(東海教育研究所) 2013
- 『ダダダダ菜園記 明るい都市農業』(ちくま文庫) 2016
翻訳
[編集]- 『アフリカの女王』(C.S.フォリスター、フジ出版社) 1967
- 『ダンケルクの海』(N・モンサラット、フジ出版社) 1968
- 『ソロモン王の宝窟』(ハガード、筑摩書房、世界ロマン文庫) 1970、新版1978
- 『針の眼』(マーガレット・ドラブル、新潮社) 1988
- 『プレイン・アンド・シンプル アーミッシュと私』(スー・ベンダー、鹿島出版会) 1992
- 『チャタレイ夫人の告白』(エレーヌ・ファインスタイン、新潮文庫) 1999
D・H・ロレンス
[編集]- 『白孔雀』(ロレンス、中央公論社、世界の文学) 1966
- 『死んだ男、狐他』(ロレンス、河出書房新社、世界文学全集) 1967
- 『ロレンス 愛の手紙』(D・H・ロレンス、筑摩書房、筑摩叢書) 1976
- 『逃げた女 / 死んだ男 / チャタレイ夫人の恋人』(ロレンス、学習研究社、世界文学全集) 1978
- 『チャタレイ夫人の恋人』(ロレンス、伊藤整訳、礼補訳、新潮文庫) 1996
脚注
[編集]- ^ “高原療養所で療養されていた方々”. JA長野厚生連富士見高原病院. 2011年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月26日閲覧。
- ^ 毎日新聞 2023年9月24日 東京朝刊
- ^ "伊藤礼さん 90歳=元日本大教授、英文学専攻". 毎日新聞. 2023年9月24日. 2023年9月26日閲覧。
- ^ “伊藤礼氏が死去 エッセイスト”. 日本経済新聞. (2023年9月25日) 2023年9月26日閲覧。
- ^ 「伊藤礼氏死去 エッセイスト」『山陽新聞デジタル』2023年9月24日。2023年9月26日閲覧。