京極高三
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京極高三像 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶長12年3月17日(1607年4月13日) |
死没 | 寛永13年9月13日(1636年10月11日) |
改名 | 六丸(幼名)、高行(初名)、高三 |
戒名 | 惣泰院殿雲山道徹大居士 |
墓所 | 京都府舞鶴市西の見樹寺 |
官位 | 従五位下修理大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 丹後田辺藩主 |
氏族 | 京極氏 |
父母 | 父:京極高知、母:竹原氏 |
兄弟 | 高広、高三、田中満吉、常子、多賀某室、浅井長好室、京極高通正室、羽柴某室、落合守重室、氏家行久室、有馬某室、石束某室、京極高三養女、沢良政室ら |
妻 | 正室:水野忠清の娘 |
子 |
高直、田中高友、松光院 養女:六郷政勝正室 |
京極 高三(きょうごく たかみつ)は、丹後国田辺藩(舞鶴藩)の初代藩主。但馬国豊岡藩京極家初代。
略歴
[編集]慶長12年(1607年)3月17日、丹後国主・京極高知の3男として丹後田辺城で生まれる。慶長16年(1611年)、京都二条城で大御所の徳川家康と、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠に拝謁した。
元和8年(1622年)に父が死去すると、その所領は高知の息子2人と婿養子の高通で分割相続されることとなり、高三は加佐郡3万5000石を相続し、田辺藩(舞鶴藩)の初代藩主となった。寛永13年(1636年)9月13日に死去した。享年30。跡を長男の高直が継いだ。その後、京極家は孫高盛の代で豊岡に転封となったが、娘婿にあたる牧野富成の子孫が田辺藩を継承した。