三好成行
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三好 成行(みよし なるゆき/しげゆき、旧字体:三好 成󠄁行、1845年11月6日(弘化2年10月7日) - 1919年(大正8年)10月17日)は、明治期の日本の陸軍軍人[1]。最終階級は陸軍中将。男爵。
経歴
[編集]長州藩士の家に生まれる。幕末の四国艦隊下関砲撃事件などに参戦。
明治維新後は陸軍に入り、1887年(明治20年)4月、歩兵大佐となる。1888年(明治21年)6月、歩兵第7連隊長に就任し日清戦争に出征した。1895年(明治28年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第6旅団長となる。1897年(明治30年)5月から翌年5月まで威海衛占領軍司令官を兼務した。
1900年(明治33年)4月、近衛歩兵第1旅団長となり、1901年(明治34年)5月22日、陸軍中将に進むと同時に予備役編入となった[2]。1903年12月1日、後備役となる[3]。日露戦争勃発に伴い召集され、1904年(明治37年)2月、留守第2師団長に就任。1905年(明治38年)1月、後備第2師団長に発令され、韓国北部平定作戦に出征。同年11月、召集解除となった。1908年(明治41年)4月1日、陸軍を退役[4]。
1907年(明治40年)9月21日、その功績により男爵の爵位を授爵し華族となった。
1916年(大正5年)から1918年(大正7年)まで大日本武徳会第6代会長を務めた。
栄典
[編集]- 位階
- 1894年(明治27年)10月10日 - 正五位[5]
- 1899年(明治32年)11月20日 - 従四位[6]
- 1901年(明治34年)7月1日 - 正四位[7]
- 1916年(大正5年)9月30日 - 従三位[8]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)9月20日 - 功四級金鵄勲章[9]
- 1897年(明治30年)11月25日 - 勲二等瑞宝章[10]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功三級金鵄勲章、勲一等旭日大綬章、明治三十七八年従軍記章[11]
- 1907年(明治40年)9月21日 - 男爵 [12]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[13]
親族
[編集]- 娘婿 飯田祥二郎(陸軍中将)
脚注
[編集]- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三好成行」
- ^ 『官報』第5364号、明治34年5月23日。
- ^ 『官報』第6177号、明治37年2月6日。
- ^ 『官報』第7434号、明治41年4月11日。
- ^ 『官報』第3388号「叙任及辞令」1894年10月11日。
- ^ 『官報』第4918号「叙任及辞令」1899年11月21日。
- ^ 『官報』第5398号「叙任及辞令」1901年7月2日。
- ^ 『官報』第1252号「叙任及辞令」1916年10月2日。
- ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
- ^ 『官報』第4323号「叙任及辞令」1897年11月27日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 三好(成行)家初代 1907年 - 1919年 |
次代 三好禎介 |