Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

コンテンツにスキップ

ブルー・ウルフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2023年12月24日 (日) 16:07; Ikamborden (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ブルー・ウルフ
プロフィール
リングネーム ブルー・ウルフ
本名 ドルゴルスレン・セルジブデ
ニックネーム ブデ
身長 182cm
体重 115kg
誕生日 (1976-12-01) 1976年12月1日(47歳)
出身地 モンゴルの旗 モンゴル
ウランバートル
スポーツ歴 モンゴル相撲
レスリング
デビュー 2001年8月10日
引退 2006年
テンプレートを表示

ブルー・ウルフBlue Wolf1976年12月1日 - )は、モンゴルの元プロレスラー。本名はドルゴルスレンギーン・セルジブデ[1]Долгорсүрэнгийн Сэржбүдээ Dolgorsürengiin Serjbüdee)。男性。ウランバートル出身。元新日本プロレス所属。血液型はA型。愛称は「ブデ」。入場曲は蒙古狼星。

総合格闘家ドルゴルスレン・スミヤバザルは実兄、元横綱朝青龍は実弟である。スミヤバザルの上にもう一人兄がおり、その長兄の息子が大相撲力士豊昇龍である。

来歴

[編集]

15歳でモンゴル相撲レスリング(フリースタイル)を始め、1996年1997年にモンゴルレスリング選手権で2連覇を果たした。

1999年、モンゴル相撲の小結に昇進した。

モンゴル国立体育大学卒業後、2001年新日本プロレスに入団。同年8月10日、真壁伸也戦でデビュー。

2002年、ファン公募でリングネームをブルー・ウルフに変更し、2002年1月24日から使用[2]

同年6月、棚橋弘至鈴木健想佐々木健介と「スウィング・ロウズ(SWING-LOWS)」を結成した。

2004年5月3日、新日本プロレス東京ドーム大会「nexess」で兄ドルゴルスレン・スミヤバザルとタッグを組み、天龍源一郎ミング組と対戦した。

2004年5月22日、総合格闘技大会「K-1 ROMANEX」に参戦し、トム・ハワードと対戦。序盤に頭部から出血させると、最後はグラウンドでの膝蹴り連打でタオル投入によるTKO勝ちを収めた[3]

2006年2月1日付けで新日本プロレスを退団[4]

2006年12月3日、UWAI STATION旗揚げ戦のメインイベント6人タッグマッチに出場[5]

2007年の弟・朝青龍の出場停止騒動を受けて現在は兄・スミヤバザルと共にモンゴルで父が経営している事業に関わっていることが確認されている。

2018年3月10日に放送された「陸海空 地球征服するなんて」の企画でモンゴルに来ていた西村瑞樹と偶然にも遭遇している[6]

戦績

[編集]

総合格闘技

[編集]
総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
1 1 0 0 0 0 0
0 0 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
トム・ハワード 2R 4:44 TKO(タオル投入) ROMANEX 格闘技世界一決定戦 2004年5月22日

得意技

[編集]
  • モンゴルスラム
  • モンゴルハマー
  • モンゴリアンチョップ
  • ラリアット

脚注

[編集]
  1. ^ 「ドルゴルスレンギーン」(Долгорсүрэнгийн/Dolgorsürengiin)は「ドルゴルスレン(=父親名)の」という意味だが、日本語報道では属格助詞「гийн(giin)」を省略し、単に父親名をカナ転写して「ドルゴルスレン・―」と表記されてしまうことが多い。
  2. ^ ドルゴルスレン・セルジブデ リングネーム決定! 新日本プロレス公式サイト 2001年10月1日
  3. ^ [ROMANEX] 5.22 さいたま:藤田、サップをKO BoutReview 2004年5月26日
  4. ^ 契約更改に関するお知らせ 新日本プロレス公式サイト 2006年1月31日
  5. ^ UWAI STATION 第6試合 スポーツナビ 2006年12月3日
  6. ^ 陸海空 地球征服するなんて 2018/03/10(土)22:13 の放送内容 ページ1”. TVでた蔵. 2022年10月25日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]