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セモヴェンテ M6 da 75/18

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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セモヴェンテ M6 da 75/18
性能諸元
全長 不明
車体長 不明
全幅 1.92 m
全高 不明
重量 約7 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 不明
行動距離 不明
主砲 18口径 75 mm榴弾砲
副武装 8 mm対空機関銃
装甲 不明
エンジン フィアットSPA英語版 18D 直列4気筒液冷ガソリン
68 hp/2,500 rpm
乗員 2名
モックアップのみ、車体の基本性能はL6/40に準ずる。
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セモヴェンテ M6 da 75/18は、イタリア陸軍が、第二次世界大戦初期の1939年から1940年にかけて開発を企図していた、自走砲である。

木製のモックアップが作られたのみで、実車は作られていない。

概要

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第二次世界大戦の開戦が迫った1939年、イタリア陸軍は、列強諸国に遅れを取っていた軍備の近代化を、急いで進める必要があった。

軍事予算の大半がイタリア海軍に割り当てられてきたために、イタリア陸軍の装備は、量も質も問題を抱えていたのである。

特に、歩兵による攻撃の時に、歩兵を支援するために必要な、榴弾や煙幕弾を発射するための、大口径砲を搭載した、戦車自走砲が欠如していた。

これについては、1930年代におけるアンサルド 9トン戦車の開発の失敗もあり、その要求は未だ達成されていなかった。

当時、イタリア陸軍が保有していた主な戦車は、L3軽戦車やFIAT3000軽戦車であったが、前者は車体が小型すぎ、後者は時代遅れであった。

また、歩兵支援のためには、機関銃や37 mm砲や47 mm砲では、火力不足であった。

また、大口径砲としては、FIAT2000にも搭載された、M1913 17口径 65 mm砲(山砲)があったが、これは一世代前の旧式であった。

イタリア陸軍には、大口径砲を搭載可能な、適度な大きさ・重量・速度・装甲を兼ね備えた、新型車両が必要であった。

そこで、白羽の矢が立ったのが、フィアット社とアンサルド社のプライベートベンチャーとして開発された、M6中戦車(後のL6/40軽戦車)であった。

まだ量産にこそ入っていなかったが、試作車は1936年には完成していた。

この車両が自走砲の土台に選ばれたのは、1939年の時点では、他に適当な車両が無かったからである。

M11/39中戦車はあったが、生産中であり、そもそもM11/39中戦車自体が、実態は自走砲であった。

1940年の時点には、M13/40中戦車も、あるにはあったが、これも戦車用の需要で一杯であり、自走砲用にシャーシを回す余裕は無かった。

このM6のシャーシを延長し、その上に、既にイタリア軍に大量に配備されていた75 mm榴弾砲を、限定旋回式の防盾で囲んで、搭載する「予定であった」のが、本車である。

この砲は1939年10月30日に本車に採用することが決定された。この18口径の75 mm榴弾砲は、後に開発された、セモヴェンテ da 75/18の主砲にも、採用されている。

この砲を囲んでいるのは、固定戦闘室でも、旋回砲塔でもなく、オープントップ(天板無し)、オープンバック(背板無し)の、限定旋回式の、防盾である。

しかし、同じくL6/40のシャーシをベースとした、47 mm対戦車砲搭載のセモヴェンテ da 47/32(乗員3 名)ですら、車内が非常に狭いのに、より大口径の75 mm榴弾砲と砲弾を搭載した本車は、非実用的なまでの車内の狭さであったと想像される。

M6中戦車は、1940年に、M13/40中戦車の登場により、L6/40軽戦車に、名称と分類が変更されている。

しかし、1940年3月に、フィアット社とアンサルド社に、583両ものL6/40軽戦車の大量発注があり、両社は当分の間、L6/40軽戦車の生産に集中することになった。

そうしているうちに、M13/40中戦車の生産が軌道に乗り、そちらの方が自走砲のベースとして、より車体が大きく、ふさわしいことから、歩兵支援用の大口径砲を搭載した自走砲(セモヴェンテ)の開発計画は、M13/40中戦車のシャーシをベースとした、セモヴェンテ da 75/18へと移行した。

結局、セモヴェンテ M6は、モックアップが製作されたのみで、開発計画は立ち消えとなった。

しかし、セモヴェンテ M6は、セモヴェンテ da 75/18に至るための、前身的な存在であったと言えるであろう。

関連項目

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外部リンク

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  • [1] - L6/40とセモヴェンテ M6の比較
  • [2] - 限定旋回式の防盾。操縦手は防盾内の砲の右側に配置された。実車が製造された場合、防盾前面右側に、操縦手用のバイザーが設けられたと想像される。
  • [3]