これはこのページの過去の版です。立足东方 (会話 | 投稿記録) による 2017年12月6日 (水) 03:33 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。
趙 顒(ちょう ぎょう、? - 219年)は、中国後漢末期の人物。
劉備の益州占領後、曹操は彼を劉璋の後任として益州刺史に任命した。彼は任命を受けたものの、益州が劉備領であるため、遥任の方針を採ったと思われる。219年、劉備との漢中攻防戦である定軍山の戦いで、夏侯淵に従い戦った。しかし劉備軍に敗れ、夏侯淵と共に斬り殺された。
なお、涼州出身の趙昂と同一人物の可能性がある(詳しくは趙昂を参照)。