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後柏原天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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後柏原天皇

元号 明応
文亀
文正
大永
時代 戦国時代
先代 後土御門天皇
次代 後奈良天皇

誕生 1464年11月19日
崩御 1526年5月19日
陵所 深草北陵
父親 後土御門天皇
母親 源朝子
典侍 勧修寺藤子
庭田源子
子女 覚鎮女王
知仁親王(後奈良天皇
清彦親王
覚道法親王
覚音女王
寛恒親王
道喜
皇居 京都御所
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後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、寛正5年10月20日1464年11月19日)- 大永6年4月7日1526年5月19日))は、室町時代戦国時代の第104代天皇(在位:明応9年10月25日1500年11月16日) - 大永6年4月7日1526年5月19日)。名は勝仁(かつひと)。

系譜

後土御門天皇の第一皇子。母は、庭田長賢の娘、蒼玉門院・源朝子。

  • 典侍:勧修寺(藤原)藤子
    • 第一皇女:覚鎮女王
    • 第二皇子:知仁親王(後奈良天皇
    • 第五皇子:清彦親王
  • 典侍:庭田(源)源子
    • 第三皇子:覚道法親王
    • 第二皇女:覚音女王
    • 第六皇子:寛恒親王
  • 掌侍:高倉(藤原)継子
    • 第四皇子:道喜

系図

(102)後花園天皇(103)後土御門天皇(104)後柏原天皇(105)後奈良天皇(106)正親町天皇─→
└(伏見宮)貞常親王伏見宮へ〕

略歴

1500年、後土御門天皇の崩御を受けて即位。しかしながら、応仁の乱後遺症の為、朝廷の財政は逼迫しており、即位の礼を行う事ができず、その費用調達の為に朝廷の儀式を中止するなど経費節約をし、本願寺実如室町幕府の献金を受け即位22年目の1521年3月22日にようやく即位の礼を執り行うことができた。

応仁の乱により、公卿は地方に離散し、朝廷の財政は窮乏し、天皇の権威も地に落ちていた非常につらい時代だったといえる。

仏教に帰依し、書道に長けていたといわれている。

1526年4月7日、崩御。

在位中の元号

陵墓・霊廟

京都市伏見区深草坊町の深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)に葬られた。

関連事項

先代
後土御門天皇
天皇
第104代: 1500-1526
次代
後奈良天皇