後柏原天皇
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後柏原天皇 | |
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元号 |
明応 文亀 文正 大永 |
時代 | 戦国時代 |
先代 | 後土御門天皇 |
次代 | 後奈良天皇 |
誕生 | 1464年11月19日 |
崩御 | 1526年5月19日 |
陵所 | 深草北陵 |
父親 | 後土御門天皇 |
母親 | 源朝子 |
典侍 |
勧修寺藤子 庭田源子 |
子女 |
覚鎮女王 知仁親王(後奈良天皇) 清彦親王 覚道法親王 覚音女王 寛恒親王 道喜 |
皇居 | 京都御所 |
後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、寛正5年10月20日(1464年11月19日)- 大永6年4月7日(1526年5月19日))は、室町時代、戦国時代の第104代天皇(在位:明応9年10月25日(1500年11月16日) - 大永6年4月7日(1526年5月19日)。名は勝仁(かつひと)。
系譜
後土御門天皇の第一皇子。母は、庭田長賢の娘、蒼玉門院・源朝子。
- 典侍:勧修寺(藤原)藤子
- 第一皇女:覚鎮女王
- 第二皇子:知仁親王(後奈良天皇)
- 第五皇子:清彦親王
- 典侍:庭田(源)源子
- 第三皇子:覚道法親王
- 第二皇女:覚音女王
- 第六皇子:寛恒親王
- 掌侍:高倉(藤原)継子
- 第四皇子:道喜
系図
┬(102)後花園天皇─(103)後土御門天皇─(104)後柏原天皇─(105)後奈良天皇─(106)正親町天皇─→ └(伏見宮)貞常親王〔伏見宮へ〕
略歴
1500年、後土御門天皇の崩御を受けて即位。しかしながら、応仁の乱後遺症の為、朝廷の財政は逼迫しており、即位の礼を行う事ができず、その費用調達の為に朝廷の儀式を中止するなど経費節約をし、本願寺実如や室町幕府の献金を受け即位22年目の1521年3月22日にようやく即位の礼を執り行うことができた。
応仁の乱により、公卿は地方に離散し、朝廷の財政は窮乏し、天皇の権威も地に落ちていた非常につらい時代だったといえる。
仏教に帰依し、書道に長けていたといわれている。
在位中の元号
- 明応 (1500年10月25日) - 1501年2月29日
- 文亀 1501年2月29日 - 1504年2月30日
- 文正 1504年2月30日 - 1521年8月23日
- 大永 1521年8月23日 - (1526年4月7日)
陵墓・霊廟
京都市伏見区深草坊町の深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)に葬られた。
関連事項
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