オアシス (バンド)
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オアシス | |
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オアシス(左が弟のリアム、右が兄のノエル、後ろのキーボードはジェイ・ダーリントン 2005年撮影) | |
基本情報 | |
出身地 |
イギリス マンチェスター |
ジャンル |
ロック ブリット・ポップ オルタナティブ・ロック |
活動期間 | 1991年 - 2009年 |
レーベル |
クリエイション エピック コロムビア ソニーBMG ビッグ・ブラザー |
共同作業者 |
ザ・レイン スタークラブ ライド ヘヴィ・ステレオ ザ・フー リンゴ・スター ハリケーン#1 プラウド・メアリー |
公式サイト | www.oasisinet.com |
メンバー |
リアム・ギャラガー(ヴォーカル) ゲム・アーチャー(ギター) アンディ・ベル(ベース) クリス・シャーロック(ドラムス) |
旧メンバー |
ノエル・ギャラガー(ギター) ザック・スターキー(ドラムス) アラン・ホワイト(ドラムス) ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ(ギター) ポール・ "ギグジー" ・マクギーガン(ベース) トニー・マッキャロル(ドラムス) |
オアシス(Oasis)は、イギリス・マンチェスター出身のロックバンド。1991年結成。2009年活動停止。2010年、現在のメンバーで新バンドビーディ・アイ(Beady Eye)を結成。
概要
ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、ブリットポップ・ムーヴメント後も高い人気を誇った。特にイギリス国内での人気が非常に高く、現代のビートルズ、と称されることも少なくない、近年の英国を代表するロックバンドである。 CDのトータルセールスは5000万枚を超える(2008年時点)。
バンドの核となるギャラガー兄弟は、同じくアイルランド系英国人・労働者階級出身であるビートルズを大変敬愛している。ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などを時折演奏する他、ファッションや自身の曲に於いてもその影響を見る事が出来る。
音楽性はビートルズ、ローリング・ストーンズなどから続くシンプルな正統派英国ロック。彼らの楽曲は時にイギリスの国歌、もしくは演歌と称されることもある。また、ドラッグや暴力沙汰などのロックではおなじみのスキャンダルとともに、彼らの発言もまたスキャンダラスなものが多く非難の声が上がることも多い。 代表的なところでは同じ英国のロックバンド、ブラーとのいさかいがあり、これは当時のイギリスの音楽ファンを二分するほどの騒動となった。
メンバー
現メンバー
- 元ヘヴィ・ステレオのフロントマン兼ギタリスト。「ゲム」の名称はもともとスコットランドのサッカー選手の名前からきている。
- 元々、ライド、ハリケーン#1などのバンドでフロントマンやギタリストとして活動。オアシス加入以前までは、ベースを触ったことも無かったとされるが、オアシスではベースを担当している。
- クリス・シャーロック(Chris Sharrock, 1964年 - )ドラムス。
- ロビー・ウィリアムズのバックバンドでドラマーをしていた。ザック・スターキーの跡を継ぎオアシスのドラマーとなった。
旧メンバー
- リアムの実兄。オアシスの初期メンバーの1人。リーダー兼メイン・ソングライターであり、バンドのほぼ全ての楽曲を手掛けてきたが、2009年脱退。一部の記事によると、フェス出演前にもかかわらず、酩酊していたリアムにノエルが憤慨。口論に発展しそのまま決裂したと報道されている。[2]。ノエルの脱退により、オアシスは活動を休止することとなった。
- スティーヴ・ホワイト(元ザ・スタイル・カウンシル、現ポール・ウェラーバックバンドのドラマー)の実弟。イエスのドラマーであるアラン・ホワイトとは別人。2004年脱退。
- オアシスの初期メンバーの1人。1999年脱退。
- オアシスの初期メンバーの1人。1999年脱退。
- トニー・マッキャロル(Tony McCarroll)ドラムス。
- オアシスの初期メンバーの1人。1995年脱退(事実上解雇)。
来歴
- ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ、ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン、クリス・ハットン(ヴォーカル)が前身バンド「ザ・レイン」を結成。ザ・レインの初演は、地元マンチェスターのバーネイジにあるカードゲームクラブで、ドラムマシンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニー・マッキャロルが加わる。
- 1991年
- 音楽関係の仕事をしていたノエル・ギャラガーのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアム・ギャラガーを加入させ、リアムはバンド名をオアシスと改名(ギャラガー兄弟の寝室に貼ってあったオールダムのインディー・ロックバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーポスターに由来している。ポスターには開催地の1つとしてスウィンドンのオアシス・レジャー・センターが記載されていた)。
- 8月、オアシスはマンチェスターのボードウォーククラブで初めてのギグを行う。リアムの実兄であり、インスパイラル・カーペッツのローディーであったノエルがライヴを観に来る。ノエルはオアシスのサウンドを特にいいものだとは思わなかったが、書き溜めていた曲を活用するいい機会かもしれないと考えた。ノエルはメンバー一同に対して「お前たちはどうしようもないクズバンドだ。だがリアムのパフォーマンスには少しだけ光るものがある。俺の曲を演じてビッグになるか、このままマンチェのクズバンドで終わるか、どっちだ?」と言い放ち、すべてのリーダーシップを自分に委ねることを条件にバンドに加入。
- 1993年
- 10月、クリエイション・レコーズと契約する。
- 1994年
- 2月、ザ・ヴァーヴのギグに参加するためのアムステルダムへの移動中、船の中でノエル以外のメンバーが乱闘を起こし強制送還される。結局ギグではノエルがひとり弾き語りを行う[3]。
- 4月、シングル「スーパーソニック」でデビュー。31位を記録する。
- 8月、3rdシングル「リヴ・フォーエヴァー」をリリース。10位を記録。
- 9月、アルバム『オアシス』発売。デビューまでの騒動がマスコミで取り上げられていたこともあり、英国で初登場1位のヒットとなり、デビューアルバム最速売り上げ記録を更新(この記録は2006年にアークティック・モンキーズのデビューアルバムによって破られている)。初来日公演も実現し、東名阪の3都市全てで会場はクアトロだった。ちなみに、この時の名古屋でのライブで、世界で初めてアンコール演奏を行った。ロサンゼルスではリアムがドラッグを使用しながらライヴを決行。その結果、リアムのパフォーマンスはいい加減なものになり、観客に対して侮辱するような発言を繰り返し、ノエルをタンバリンで殴り付けた。ノエルはバンドを一時脱退、飛行機でサンフランシスコに向かう(この出来事をきっかけに「トーク・トゥナイト」が書かれた)。ノエルはレーベル関係者に捜し出され説得を受け、ミネアポリスの公演からツアーを再開した。
- 12月、クリスマスシングル「ホワットエヴァー」を発売。UKチャート最高3位。
- 1995年
- 4月、メンバーとの関係が希薄で、技術的に問題のあったドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにポール・ウェラーの勧めで元スタークラブのアラン・ホワイトが加入する(アラン・ホワイトは、スタイル・カウンシルのスティーヴ・ホワイトの実弟)。同月、シングル「サム・マイト・セイ」が発表され、シングルで初めてUKチャート1位を獲得。
- 6月、加入したばかりのアランとともにグラストンベリー・フェスティバルにヘッドライナーで出演。当時としては新記録となる10万人以上の観客を動員するが、ステージで未発表の新曲を多数演奏したために暴動騒ぎが起こった。
- 8月、メディアに煽られる形で始まった「オアシスvsブラー」の争いは、オアシスのシングル「ロール・ウィズ・イット」とブラーのシングル「カントリー・ハウス」の同日発売で頂点を迎える。この対決のことで国内のニュースは持ち切りとなる。結局ブラーが1位(27万4000枚)、オアシスは2位(21万6000枚)に終わるが、ブラーは通常盤とライブ盤の「カントリー・ハウス」をリリースしたこと、「カントリー・ハウス」の方が値段が安かったこと、本当の意味でのブラーの勝利かどうかは不明である。
- 9月、ギグジーが精神疲労で一時脱退、代役にThe Ya-YasのScott McLeodを迎えツアーを行う。
- 10月、2ndアルバム『モーニング・グローリー』発売。UKチャート1位。アルバム売上枚数は全世界で約2200万枚を記録し(2008年時点)、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンとビートルズに抜き返されている)。その完成度の高さから、当初全曲シングルカットの企画もあったが断念された。
- 11月、ロンドンのアールズ・コートで2日間4万人を動員するライヴを開催。ヨーロッパの屋内ライヴとしてはこれがギネス記録。また、このときオーディエンスの鳴らす振動が地震として計測されるほどの盛り上がりだった。
- 1996年
- この年は95年に発売された『モーニング・グローリー』からの3枚目のシングル「ワンダーウォール」がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスは初秋のアメリカMTVアウォードでベストグループを受賞するが、酔ったリアムがステージで嘔吐しアウトロ途中でステージを降りた。(演奏した曲はシャンペン・スーパーノヴァで格段にアウトロが長かった)
- 4月、「マンチェスターメイン・ロード 2days」を行い、8万人を動員した。
- 5月、海外向けにシングル「シャンペン・スーパーノヴァ」をリリース。USチャート1位を記録する。この曲はポール・ウェラーがギター、バックヴォーカルで参加している。
- 8月、ロンドン郊外のネブワースにて2日間で25万人を集める(250万件の予約が殺到した)。名実ともにオアシスがスタジアムバンドにまで登り詰めた。『MTVアンプラグド』に出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。リアムはバルコニー席でビールとタバコを嗜みながらライヴを鑑賞、曲の間にノエルを野次っていた。4日後、リアムがアメリカツアーに行くことを拒否したため、ノエルをボーカルに据えてツアーに出発する。その後リアムがバンドに合流するが、数週間後に今度はノエルがバンドを残して飛行機で家に帰ってしまう。メディアにはバンド解散かと騒がれたが、兄弟はすぐに和解し残りのツアーを終えた。
- 1997年
- 8月、3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』発売。UKチャート1位、USチャート2位を獲得し、UK最速セールス記録を更新した。しかし、すでにブリットポップ・ムーヴメントが終焉したのみならず、内容自体も賛否が分かれる。評論家たちからの容赦のない批評にも晒されオアシスの人気は一時衰退。
- 1998年
- 2月に日本武道館で3日連続公演を行う。滞在したホテルはビートルズと同じキャピトル東急ホテル。
- 11月、クリスマス商戦に向けBサイドアルバム『ザ・マスタープラン』を発売。UKチャートで最高2位。ファン投票で選ばれた曲が収録されている。当初は「ホワットエヴァー」の収録も噂されたが結局なかったことに。「アイ・アム・ザ・ウォルラス」と「リッスン・アップ」が一部編集されている。
- 1999年
- 8月、ボーンヘッドが脱退[4]。2週間後、後を追うようにギグジーが脱退。ノエルはボーンヘッドのギターとギグジーベースのパートを録り直す。
- 12月、元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャーが加入。モナコのデイヴィッド・ポッツとリハーサルを行うがすぐに離脱、元ライド、ハリケーン#1のギタリスト、アンディ・ベルがギグジーの後任として加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが倒産。
- 2000年
- 2月、4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』を発売。UKチャート初登場1位。前年のクリエイション・レコーズ倒産に伴い、この年から自ら立ち上げたレーベル・ビッグ・ブラザーからのリリースとなる。プロデューサーには過去3作を担当したオーウェン・モリスの手を離れ、ポール・スパイク・ステイシーを起用。リアムが書いた曲「リトル・ジェームス」が初めて収録される。オアシスのロゴがゲムがデザインしたものに新しく変更される。先行シングル「ゴー・レット・イット・アウト!」のPVではアンディの加入が間に合わなかったため、リアム(形式的だがギターをプレイ)、ノエル、ゲム、アランの4人で演奏を行っている。また「ホエア・ディド・イット・オール・ゴー・ロング?」のPVではアンディも揃ったメンバーで演奏、リアムが形式的だがキーボードをプレイしている。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。
- 4月、カート・コバーンの命日から6年にあたるシアトル公演でニール・ヤングの「ヘイヘイ・マイマイ」を演奏した[5]。カートの遺書にはニール・ヤングの『ヘイヘイ・マイマイ』の歌詞の一部が引用されている。
- 5月、ワールドツアー中、アランが腕を痛めバルセロナでの公演をキャンセルする。バンドメンバーは代わりに飲み明かすが、リアムが当時のノエルの妻メグ・マシューズを侮辱し始め、「アナイスの父親は本当にノエルなのか」とノエルに疑問を投げかけ、殴り合いに発展する。ノエルはバンドを一時離脱、過去最大の解散危機を迎える[6]。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンを起用。バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。このときの「アクイース」はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。
- 11月、ノエル復帰後、ロンドンウェンブリー・スタジアムでの公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』を発売。CD2枚組と1枚組が存在する。ウェンブリー・スタジアムでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。リアムは「2日公演なのを知らなかった」と弁明。
- 2001年
- 初頭、南米ツアーをスタート。
- 5月、ブラック・クロウズ、スペイスホッグと北米ジョイントツアー「Brotherly Love ツアー」を敢行[7]。
- 7月、フジ・ロック・フェスティバル'01で初日のトリを務める。また秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー「10 Years of Noise and Confusion Tour」が行われた。
- 2002年
- 5月、『MTV The Super Dry Live』、『MTV Video Music Awards Japan 2002』出演を含めた来日プロモーションを果たし、数々のメディアへ出演を果たす。
- 7月、5thアルバム『ヒーザン・ケミストリー』発売。UKチャートで1位を獲得。また、このアルバムではリアムがソングライターとしての腕を上げ、3曲を提供。ゲムとアンディもそれぞれ一曲ずつ手がけた。このツアーよりライヴの最後の曲がザ・フーのカヴァー「マイ・ジェネレイション」になる。
- 8月、ノエルとアンディ、ジェイ・ダーリントンを乗せたタクシーが衝突事故を起こす[8]。
- 9月 - 10月、東京(代々木第一体育館)、福岡、大阪、仙台、広島で来日ツアーを敢行。福岡公演(福岡国際センター)では前回のライヴに続いて(そのときとは事情が違うものの)、リアムが途中退場するハプニングもあった[9]。
- 12月、ミュンヘンのナイトクラブでリアムとアラン、バンド関係者3人が乱闘を起こし逮捕される[10][11]。リアムは前歯を2本失い、警察官の胸部を蹴りつけた。アランは灰皿で頭を殴られ軽症を負った。バンドメンバーは大量にアルコールを摂取しており、リアムはコカインを使用していた[12]。2年後、リアムは3万5000ポンド(約700万円)の罰金を支払った[13]。
- 2004年
- 1月、アラン・ホワイトが脱退。元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーがサポートドラマーとして参加する。
- 6月、9年ぶりにグラストンベリー・フェスティバルに出演するが、評判はあまり良くなかった[14]。
- 10月 - 12月、デイヴ・サーディとスタジオ入りする。
- 2005年
- 5月、6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』発売[15]。UKチャート1位を獲得。『モーニング・グローリー』以来の傑作として称賛を浴びる。イギリスでシングル「ライラ」も初登場1位を獲得。これでオアシスのNo.1シングルは7枚目、またシングル・アルバム総チャートイン週は766週に。日本ではアルバムがオリコン初登場1位を記録。これは英国のバンドのオリジナル・アルバムとしてはベイ・シティ・ローラーズ以来、30年ぶりである。
- 5月、過去10年間においてUKで最も成功したバンドとしてギネスに認定される[16]。
- 6月30日 - 7月3日、9年ぶりに地元チームマンチェスター・シティのホームグラウンド(シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム)で3日間のライヴを開催。
- 8月、サマーソニック'05のヘッドライナーを務める。
- 11月、来日し大阪城ホール、東京の代々木第一体育館でライヴを行なった。
- 2006年
- 3月、映画『GOAL!』のサントラに3曲を提供。そのうち1曲はノエルがヴォーカルを取る新曲。
- 11月、ノエルの選曲による初のベストアルバム『ストップ・ザ・クロックス』を発売。6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』に続いてオリコン初登場1位を獲得。ほぼ同時に、ツアーの模様を収めたロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』が公開される(ただし試写会のみ。2007年10月のDVD化)。また、世界各地でノエルがゲム、サポートドラマーのテリーとともにアクースティック・ライヴを披露する。日本でも11月15日に『笑っていいとも』へ生出演し、MySpace主催によるシークレットライヴが恵比寿LIQUIDROOMにて行われた[17][18]。翌16日には『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』の特別試写会後にノエルが登場し、ノエルへのインタヴューやQ&A、ノエル単独でのアコースティック演奏がSHIBUYA-AXにて行われた[19][20]。
- 10月、ソニーウォークマンのイメージキャラクターを務め、テレビCMやカタログに登場する。Sシリーズ(NW-S700F)のCMには「ライラ」が、Aシリーズ(NW-A800)のCMには「モーニング・グローリー」が使用されている。日本映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』にも、主題歌の「ライラ」を筆頭に、多くの既発曲を提供。
- 2007年
- 2月、ブリット・アワード生涯功労賞を受賞。
- 6月、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』40周年記念スペシャル番組へ「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」のカヴァー曲を提供。
- 10月21日、バンド初のダウンロード限定販売シングル「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」をリリース。本国イギリスでは10月29日にロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』がDVDでリリース(日本盤は12月5日発売)。
- 2008年
- 5月、ザック・スターキーがザ・フー専念の為離脱。
- 6月、オフィシャルサイトより9月29日にシングル「ザ・ショック・オブ・ザ・ ライトニング」、10月6日にアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリースすることが発表される。録音はアビー・ロード・スタジオで行われ、プロデューサーは前作同様デイヴ・サーディ。イギリスではスタジオアルバムがデビュー作から7作連続で1位、アメリカでは『ビィ・ヒア・ナウ』がUSチャート2位を獲得して以来11年ぶりにトップ10入りして5位を獲得した。
- 2009年
- 3月、3年半ぶりとなる来日公演を敢行。初の札幌公演から「ホワットエヴァー」が演奏されるようになる。27日には『ミュージックステーション』の3時間スペシャルに生出演し、特設ステージにて3曲(「フォーリング・ダウン」、「ザ・ショック・オブ・ザ・ライトニング」、「ホワットエヴァー」(アンコール))を生演奏した。
- 6月、リアムがファッション・ブランド「プリティーグリーン」を設立。
- 7月、フジロック・フェスティバル'09のヘッドライナーを務める。
- 8月、ノエル・ギャラガーが公式ウェブサイト上で脱退を表明した[21]。オアシスが解散状態となる。
- 11月、リアムはノエルが抜けた現在のメンバー(リアム、ゲム、アンディ、クリス)で、新たに次のアルバムのレコーディングを行うことを発表。
- 2010年
- 1月、リアムは次のアルバムに向けての新曲を数曲書き上げ、アルバムは2010年内にリリースすることを発表。また、現在のバンド名"オアシス"で活動を続ける予定であったが、新たなバンド名で活動することを明らかにした(事実上これはオアシスの終了を意味することになる)。
- 2月、ブリット・アワードにて、アルバム『モーニング・グローリー』で「過去30年間でのベスト・アルバム」を受賞。この時、リアムはマイクと受け取った賞を観客の中に投げ入れた。
- 5月、リアムは公式サイトなどにて新バンド名"ビーディ・アイ"(Beady Eye)を発表。
- 6月、初のシングル・コレクション『タイム・フライズ…1994-2009』を発表。これまで全てのアルバムに収録されていなかった「ホワットエヴァー」「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」を含む全26曲(日本盤は全27曲、隠しトラックも含めると全28曲)が収録されている。UKチャート1位、日本ではオリコン初登場2位を記録。
ディスコグラフィー
詳細は「オアシスの作品」を参照
スタジオ・アルバム
- 1994年
オアシス(Definitely Maybe) - 1995年
モーニング・グローリー(〈What's the Story〉Morning Glory?) - 1997年
ビィ・ヒア・ナウ(Be Here Now) - 2000年
スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ(Standing on the Shoulder of Giants) - 2002年
ヒーザン・ケミストリー(Heathen Chemistry) - 2005年
ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース(Don't Believe the Truth) - 2008年
ディグ・アウト・ユア・ソウル(Dig Out Your Soul)
ライブ・アルバム
- 2000年
ファミリアー・トゥ・ミリオンズ(Familiar to Millions)
コンピレーション・アルバム
- 1998年
ザ・マスタープラン(The Masterplan) - 2006年
ストップ・ザ・クロックス(Stop the Clocks) - 2010年
タイム・フライズ…1994-2009(Time Flies... 1994-2009)
シングル
発売年 | 曲名 | 備考・タイアップ | 収録アルバム |
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1994年 | スーパーソニック (Supersonic) |
日本ではミニアルバムとして発売 | オアシス (Definitely Maybe) |
Rock 'n' Roll Star | アメリカのみの発売 | ||
Shakermaker | 日本未発売 | ||
Live Forever | |||
Cigarettes & Alcohol | |||
1995年 | サム・マイト・セイ (Some Might Say) |
日本ではミニアルバムとして発売 | モーニング・グローリー (<What's The Story> Morning Glory?) |
ロール・ウィズ・イット (Roll With It) | |||
Morning Glory | オーストラリアなど一部のみの発売 映画『GOAL!』主題歌(2005年) ソニー『ウォークマンAシリーズ』 CMソング(2007年) | ||
ワンダーウォール (Wonderwall) |
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1996年 | ドント・ルック・バック・イン・アンガー (Don't Look Back In Anger) |
映画『BECK』 エンディング・テーマ(2010年) | |
Champagne Supernova | オーストラリアなど一部のみの発売 | ||
1997年 | ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン? (D'You Know What I Mean?) |
ビィ・ヒア・ナウ (Be Here Now) | |
スタンド・バイ・ミー (Stand By Me) |
|||
1998年 | オール・アラウンド・ザ・ワールド (All Around The World) |
||
ドント・ゴー・アウェイ (Don't Go Away) |
日本のみの発売 テレビドラマ『ラブ・アゲイン』挿入歌(1998年) | ||
2000年 | ゴー・レット・イット・アウト! (Go Let It Out) |
スタンディング・オン・ザ・ ショルダー・オブ・ジャイアンツ (Standing On The Shoulder Of Giants) | |
フー・フィールズ・ラヴ? (Who Feels Love?) |
|||
サンデー・モーニング・コール (Sunday Morning Call) |
|||
Where Did It All Go Wrong? | アメリカのみの発売 | ||
2002年 | ヒンドゥ・タイムズ (The Hindu Times) |
ヒーザン・ケミストリー (Heathen Chemistry) | |
ストップ・クライング・ユア・ハート・アウト (Stop Crying Your Heart Out) |
映画『バタフライ・エフェクト』 主題歌(2005年) | ||
リトル・バイ・リトル/シー・イズ・ラヴ (Little By Little / She Is Love) |
|||
2003年 | ソングバード (Songbird) |
||
2005年 | ライラ (Lyla) |
映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』 主題歌(2006年) ソニー『ウォークマンSシリーズ』・ 『NETJUKE』CMソング(2006年) |
ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース (Don't Believe The Truth) |
インポータンス・オヴ・ビーイング・アイドル (The Importance Of Being Idle) |
|||
レット・ゼア・ビー・ラヴ (Let There Be Love) |
|||
2008年 | ショック・オブ・ザ・ライトニング (The Shock Of The Lightning) |
映画『K-20 怪人二十面相・伝』 主題歌(2008年) |
ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul) |
アイム・アウタ・タイム (I'm Outta Time) |
|||
2009年 | フォーリング・ダウン (Falling Down) |
テレビアニメ『東のエデン』 オープニング・テーマ(2009年) |
その他のシングル
発売年 | 曲名 | 備考・タイアップ |
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1994年 | ホワットエヴァー (Whatever) |
日本ではミニアルバム扱い。 ソニー『VAIO W』CMソング(2002年) トヨタ『マークXジオ(Zio)』CMソング(2007年) アサヒビール『アサヒ オフ』CMソング(2009年) |
1998年 | Acquiesce | アメリカのみの発売 コンピレーション盤『The Masterplan』からのシングル |
2006年 | アクイース/ザ・マスタープラン-ストップ・ザ・クロックスEP (Stop The Clocks EP) |
ベスト盤『Stop The Clocks』の先行シングル イギリスではシングルではなくEP扱い |
2007年 | ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン (Lord Don't Slow Me Down) |
ダウンロード限定販売 |
映像
- 1995年
ライヴ・バイ・ザ・シー - Live By The Sea(ライブビデオ・DVD) - 1996年
ゼア・アンド・ゼン - There And Then(ライブビデオ・DVD) - 2000年
ファミリアー・トゥ・ミリオンズ - Familiar To Millions(ライブDVD) - 2004年
リヴ・フォーエヴァー - Live Forever(ドキュメントDVD)
デフィニトリー・メイビー - Definitely Maybe(ドキュメントDVD) - 2007年
ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン - Lord Don't Slow Me Down(ツアードキュメントDVD)
その他
- デビュー後オアシスのロゴは3度にわたり変更されており、現在のロゴは4代目。
- ギャラガー兄弟は熱心なマンチェスター・シティのファンで、普通のファンに混じってスタジアムで応援している所を目撃されたりしている。ライバルのマンチェスター・ユナイテッドに対して暴言を吐くこともしばしば。「ストーン・ローゼズは尊敬するが、彼らが揃いも揃ってMan Uのファンなのは情けない」と発言したことがある[要出典]。
- W杯やヨーロッパ選手権の際はイングランド代表についてコメントする事がある。だが、その内容は「クラウチはクソだな。フットボーラーとしては背が高すぎる。今まで背が高すぎる選手にロクな奴がいた例がないだろ」など、毒を含んだものが多い。
- ノエルの前妻メグ・マシューズとジョニー・デップの元恋人であったケイト・モスは友人であることから、ジョニー・デップとノエルは親交があり、その縁もあって、デップはオアシスの3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』収録の「フェイド・イン・アウト」にスライドギターで参加している。その礼としてデップは「P」という文字の入った白いギターをノエルに贈っている。
- 1995年にBBCのテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演して「ロール・ウィズ・イット」を演奏した際、口パクであることをネタにして、兄弟の役割を入れ替え、リアムがギターを弾くふりをし、ノエルがリードヴォーカルとして歌った(歌うふりをした)ことがある。これはブリットポップ期に、ブラーの「カントリー・ハウス」とシングル順位を争った際に負けたためである。
- オアシスから影響、インスピレーションを受けていると公言しているアーティストに、アークティック・モンキーズ[22]、キラーズ[23]、ザ・コーラル[24]、カサビアン、ザ・ビュー[25]などが挙げられる。グラスゴー出身であるオアシスのトリビュート・バンドNo Way Sisは、EP『アイド・ライク・トゥ・ティーチ・ザ・ワールド・トゥ・シング』をリリースしUKチャート40位を記録した。この曲はザ・ニュー・シーカーズの曲(邦題「愛するハーモニー」)をオアシス風にカヴァーしたものである。日本のバンドlittle by littleは、オアシスの曲「リトル・バイ・リトル」からバンド名を得ている[26]。
- 意外な所では、メタリカのラーズ・ウルリッヒ、サッカーアルゼンチン代表のリオネル・メッシもオアシスのファンとして有名である。マリリン・マンソンとも交遊があり、ライブにノエルとリアムが招待された。日本の有名人では東野幸治、有吉弘行らがファンである。
オアシス(ギャラガー兄弟)が影響を受けた主なバンド
- ビートルズには常に敬意を払っている。1998年の日本公演は、ライヴ会場もホテルもすべてビートルズの日本公演と同じ所にしている。ビートルズと比較されることに対してノエルは「音楽的に似ているとは全く思ってない。両方ともメンバーがイギリス人で、労働者階級の人間で、イギリスの同じような地方の出身で、 ユーモアや服装のセンスも似ているからそう言うんだろうが、ビートルズほどのインパクトを俺たちが持つことは、今も将来的にもないだろうね。 歴史の1ページである彼らのようなバンドは二度と現れない。目標でしかないね。」と語っている[27]。それだけに、2006年に発表された、ビートルズの曲や彼らが残したアウトテイクなどをリミックスしたアルバム『ラヴ』だけは、「無意味」「ビートルズを理解できていない」と、兄弟共に酷評している[28]。
- ノエルは「自分たちの世代で彼らの影響を受けていない奴はいない」と発言した。キース・リチャーズは「オアシスやアークティック・モンキーズはあまり好きじゃない」と発言。
- ライヴのラストは、フーの代表曲「マイ・ジェネレーション」のカヴァーで締められる事が多い。ノエルは、ザ・フーのライヴにゲスト出演した事がある。
- ブリットポップ・ムーヴメントはモッズのリバイバルという側面も持っており、70年代後半パンク/モッズリバイバルの旗手的存在であったジャムの影響も大きい。特に、現在もソロとして活動を続けるポール・ウェラーとは旧知の仲で多大な尊敬を寄せており、彼のことに話題が及ぶと、いつも最大限の賛辞を送っている。
- ビートルズ以外でよく比較されるのがこのバンドでありノエルは「セックス・ピストルズ以降は全部エセパンクバンドだ」と雑誌で発言している。ボーカルのジョニー・ロットンはノエル脱退時に際しては、「悲しいな。別にオアシスにハマッてたわけじゃないけど、それでも辛いことだよ。ノエルは素晴らしい奴で、イギリスの良心の一人だ。リアムは第二のジョニー・ロットンにゃ適任ってとこだね。初めて”ロックンロールスター”を聴いたときはジョン・レノンとジョン・ライドンをミックスした感じだと思ったよ。」などという発言している。[29]
- リアムは、ローゼズのライヴを何度も観に行くうちに、バンド結成を決意した。ちなみに、偶然にもノエルも同じステージを観ていた。初期のオアシスのデモ音源は、ローゼズの影響を色濃く感じさせる楽曲が多い。
- リヴァプール出身のこのバンドにも、多大なるリスペクトを寄せている。リアムは、2005年に来日した際、ラーズの東京公演をお忍びで観に行った。
- ノエルは2001年、スティーブ・マリオットのトリビュート・コンサートで、元メンバーのイアン・マクレガンやケニー・ジョーンズと共演し、彼らのヒット曲「ヒアー・カム・ザ・ナイス」を歌う。このコンサートには、ザック・スターキーも出演していた。
- ノエルは、ジョニー・マーのギタープレイに憧れ、ギターを手にした[31]。ジョニー・マーは『ヒーザン・ケミストリー』にも参加している。また、2001年に行われたOasis結成10周年記念ライブでは、ゲストとしてジョニー・マーがメンバーと共にChampagne Supernovaを演奏した。
- ノエル曰く、「俺がいかにして音楽を好きになり、ソングライターとして影響を受けたかという点において、彼らはザ・ビートルズと並ぶ存在だ」。しかし一方で、「ディスコに走ってからは、すっかりダメになった。女のための音楽になっちまったのさ」とも語っている。
オアシス(ギャラガー兄弟)と友好関係にある主なアーティスト
- オアシスのリアム・ギャラガーは、ジャスティーンに「おれと付き合わないか」と言い寄ったり、「スウェードのジャスティーンと一発やりてぇ」「迷わず口にちんぽぶちこんでやるね。迷わずね。ボンベイロールも迷わずぶちかましてやる。」とコメントするなど、度々ラヴコールを送っていた。
- リアムとの仲が非常に良く、オアシス2ndアルバム収録の「キャスト・ノー・シャドウ」は、当時活動休止中だったリチャード・アシュクロフトに向けられたものである。リチャードがソロとなった現在でも交流は続いており、リチャードはオアシスを「この国が生んだ最高のロック・スター」「俺の人生を変えたバンド」と評している。
- 滅多に他のバンドを褒めることのないギャラガー兄弟が絶賛している。カサビアンのオアシスに対する発言は崇拝に近い。名古屋で開催されたサマーソニック05も含め、過去数回ステージで共演しており、ギャラガー兄弟とカサビアンのメンバーとは、プライベートでも親交がある。
- カサビアン同様、ギャラガー兄弟が評価する数少ない若手バンドの一つ。ミュージシャンのモリッシー(元ザ・スミス)が、「アークティック・モンキーズが成功するのは早すぎる」と発言し、これに対しノエルが「最初の1、2年でこれだけ騒がれると、それだけで彼らを嫌うやつが出てくるんだよ。でも、彼らにはどうしようもないことだろ」等と擁護し、モリッシーは謝罪するに至った。カサビアン同様、プライベートでの親交あるようである。
- クーラ・シェイカーがデビューしたての頃、彼らをサポート・アクトに抜擢した。バンドが一旦解散した際は、メンバーのジェイ・ダーリントンをサポート・キーボーディストに迎え、以後10年近くツアーに帯同させている。また、ザック・スターキーは以前、クーラ・シェイカーのベーシストであるアロンザ・ベヴァンと上記のジョニー・マーと3人で『ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズ』というバンドを組んだことがある。
- ノエルは、何度か彼らのアルバムに参加したことがあり、「ケミカル・ブラザーズとはまたコラボしたい。"Setting Sun"は俺が製作に関わった曲の中でも最高傑作だと思っている。リアムが聞いたら怒るだろうがな」と語っている。なお、ノエルがヴォーカルを担当した「セッティグ・サン」は、2007年から日産・エクストレイルのCMに採用されている。
- ノエルは、かねてから彼らを「いいバンド」と評していた。コーラル側は当初、「口の悪いオアシスから褒められてもうれしくない」と迷惑顔をしていたが、新作のレコーディングは、ノエル所有のスタジオで行われるなど、結局仲は良い。
- 2004年のプロディジーのアルバムに、ゲストとして兄弟で参加した。プロディジーのリーダー、リアム・ハウレットの妻は、リアムの妻・ニコラと実の姉妹であり、その為に親交が深い。
- 2ndアルバム収録の「モーニング・グローリー」「シャンペン・スーパーノヴァ」ではウェラーがギターを演奏し、『ザ・マスタープラン』収録の「ザ・スワンプ・ソング」ではブルースハープとギターを担当。ノエルの方も、ウェラーの傑作と名高いソロ3作目『スタンリー・ロード』にゲスト参加。互いに度々ライヴでサポーターとして登場したり、テレビ番組で共演するなど、多岐に渡って交流している。
- トラヴィスのデビュー時、ノエルは彼らのファンである、と公言していた。1997年に、オアシスのツアーで前座を務め、同年12月のマンチェスターのライヴでは、ノエル自身がゲスト参加したことがある。リアムは「トラヴィスは見上げたバンドだ、俺は大好きだよトラヴィス、曲もすごくいいし。あいつらのことはライバルとは思っていない。絶対ちがうね、偉大なバンドではあるけど」と話している。アルバム『ザ・マン・フー』収録曲の「ライティング・トゥー・リーチ・ユー」では歌詞に「ワンダーウォール」という単語が登場し、イントロも「ワンダーウォール」に酷似したコード進行であるが、楽曲のクオリティから、後にノエルの公認を受けている。
- U2のアルバム『ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム』の収録曲「ワン・ステップ・クローザー」は、U2のヴォーカル・ボノに対し、ノエルがかけた言葉をもとに歌詞が作られた。だがノエルはボノに対し「"One" を演奏してろ。 アフリカについては一言も喋らずに、だ」と発言している[32]。リアムは「U2はまあまあいいが世界一じゃない。俺があのバンドのボーカルだったら話は別だったけどな」と発言した。
- ノエルは懇意のピート・ドハーティ率いるベイビーシャンブルズを 6thアルバムのワールドツアー(2005年)のオープニングアクトに起用した(しかし、ピートがパリのファッション・デザイナーの誕生日パーティに出席したためにツアー帯同はキャンセルとなった)。一方のリアムはピートを嫌っている模様[33]。しかしながら、2006年にはピートとリアムがパブを開くかもしれないという話もあった[34]。
- デビュー当時のステージで共演した時、リアムとブラック・クロウズのボーカリスト、クリス・ロビンソンが一触即発となるが、ノエルが謝罪し、親交が始まる。『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』以降、オアシスのレコーディングをサポートして来たポール・ステイシー(キーボード、ギター)は、2006年から2007年にかけてブラック・クロウズのギタリストとして活動。
- ノエルは、カート・コバーンに「オレたちの時代のジョン・レノンに成り得た」と発言しているが、リアムはニルヴァーナに対し「2曲ほど良いと思うのはあるけど、あとはクソだな。子供を残して自殺するような奴はクソ」とコメントしている。ノエルは、ニルヴァーナの「I Hate Myself and I Want to Die(自分が嫌いだし死にたい)」への反発から「Live Forever(永遠に生き続ける)」を書き上げた。カートの遺書にはニール・ヤングの「ヘイヘイ・マイマイ」の歌詞の一部が引用されていた事から、シアトルに公演で訪れたのをきっかけに、ライヴで「ヘイヘイ・マイマイ」を演奏するようになった[35]。
オアシス(ギャラガー兄弟)の、他アーティストに対する評価が変わった例
頻繁に特定のアーティストたちを扱き下ろす彼らだが、ライバル関係だったブラーを始めその態度を一転させることも多い(特に、リアムにはその傾向が顕著であり、恒例化している面もある)。
- ブリットポップの最盛期である1990年代当時、マンチェスターの労働者階級出身のオアシスとは対照的に、ロンドンの中流階級出身である彼らとの仲の悪さはあまりに有名だった(取材等で両バンドの対立が煽られていたとも)。リアムがデーモンのことをこき下ろしたり、シングル対決で敗れた後、激怒したノエルが「ブラーのデーモンとアレックスはエイズにでもかかって死ねばいい」とコメントしたことがある(エイズ関連団体はノエルを大バッシングし、後に謝罪に追い込まれる)。一方で、グレアム・コクソンとデイヴ・ロウントゥリーの2人は「良い奴ら」とのこと。
- 現在では、ノエルは「現在のあいつらの音楽は最高だ」と認めており「デーモン・アルバーンは最高のアーティストだな。オレはあいつのファンだ」とまで語っている。リアムもデーモンに対して「息子がお前(ゴリラズ)のファンなんだぜ」と直接語っている所から、評価が完全に一変したと言える。また、「もし今、デーモンに会ったら、俺はその場からとっとと失せるだろうな。いまだに首を突っ込むようじゃ、俺も単なるアホってことになるからな。今となりゃ笑い話だ。若気の至りってヤツさ」と、因縁の対決に終止符を打つような発言もしている。
- 彼らのメディアの露出が著しくなった際、リアムは、「お行儀のいい学生による芸術ごっこ」や「騒音」とか「演奏が学園祭のバンドと同じ」といった発言をしていたが、彼らのアルバム『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』を聴き、過去の否定的な考えを撤回した。そのアルバムの最後の曲を聴いた後、クッションに向かって15分間泣いた、とも告白している。
- スターセイラー
- デビュー・アルバムを聴いたノエルとリアムは揃って、彼らに対し嫌悪感を示す。しかし、彼らのセカンド・アルバムに収録されている「フォー・トゥ・ザ・フロア」を聴いたリアムは、その曲の質の高さを評価した。
- リアム曰く、「コールドプレイの曲を聴くと自殺したくなる」とのこと[36]。また、ヴォーカリストのクリス・マーティンのことを「ロンドンのキツネ」と揶揄した(クリスは、切れ長でややつり上がった目尻をしている)。アワード授賞式にて一悶着あったと伝えられているが、現在、リアムのコールドプレイに対する評価はいくぶんか軟化した様子で、「確かに奴らは"ロック・バンド"かもしれねぇな。だが、"ロック・スター"では決してない。ああいうのが好きな奴もいるだろうが、俺はロックにはもっとワイルドな要素を求めるな」と珍しくスマートなコメントをしている。一方のノエルは、彼らの「イエロー」がフェイヴァリットソングで、チャリティライヴのステージで、クリス・マーティンと「リヴ・フォーエヴァー」他を競演したこともある。また、コールドプレイは、リアムが作曲した「ソングバード」を、ライヴでカヴァーしている。
オアシス(ギャラガー兄弟)が嫌っている、対立している主なアーティスト
- リアム曰く「あいつらはイキがっているだけで、やっている音楽は大したことないクソバンド」。ノエルは 「アメリカのパンクロックが好きな奴ら、特にグリーン・デイのファンは大っ嫌いだ」とコメント[37]。また最近では、「ブールヴァード・オブ・ブロークン・ドリームス」が、オアシスのヒット曲である「ワンダーウォール」に類似しているとノエルが抗議。曰く「俺達をパクるにはまだ早い」[38]。この抗議に対して、グリーン・デイサイドからのアナウンスはされていない。
- ノエルはレディオヘッドのインテリ性でネガティヴなところを嫌っている一方で、その前衛性を評価している。近年では「新作がリリースされたら聴きたいミュージシャンは?」と言う質問に、「彼らが何をやっているか気になる」と言う理由で、コールドプレイと共にレディオヘッドの名を挙げている。リアムは、「レディオヘッドのどこが良いか分からない。マニアックでネガティブで眠くなるだけじゃねえか」とのこと。ノエルはトム・ヨークに対し、「アンタがどれだけ"オレ達は不運だ"って嘆く事に時間を空費したところで、最終的にはみんな、アンタには"Creep"を歌って欲しいだけなのさ」とコメント[32](近年のレディオヘッドは『クリープ』をライヴではあまり頻繁には演奏しない)。その後ノエルが、「俺は大学なんか行ってねえ。絵筆が何なのかも知らねえよ。アート・スクールなんか行った事ないからな」と発言した事を受けて、トム・ヨークは、「僕は行ったよ。他のアーティストをリスペクトするよう教わった」とコメントしている[39]。
- リアムは、UKシーンを盛り上げている新世代バンドの筆頭であるフランツ・フェルディナンドに対して、「インディーとか何とか言って、キツキツの服を着て、爪先が尖った靴を履いて歩き回っているだけのケチ野郎だ」と語り、更にフランツ・フェルディナンドの代表曲の一つ「ミハエル」の演奏を見て、「演奏中、フロントの2人(アレックスとニック)が互いに見つめ合う時間が長過ぎる!奴らはゲイに違いない。奴らはライト・セッド・フレッドみたいだ」と切り捨てた。それについてアレックスは、「リアムはノイローゼ気味の女子高生だ」とコメント[40]。
- ノエルは曰く「ダンスもヴォーカルも全てがダメだ。やつらは撃ち殺されるべき。」
- リアム曰く「ブラーの出来損ないだろ」。これに対し、カイザー・チーフスのリッキー・ウィルソンは「彼らのああいった売名行為はいつも見てきた。気にしちゃないよ。それにブラーみたいな偉大なバンドと比較されて光栄だね」とコメントしている。
- ノエルは「どっかのバンドで3人のこの上ない間抜けなバカどもがヴォーカルとキーボードとドラムをやってんだろ。ほかに言うべきことなんてないね」。これに対してキーンのティム・ライス・オクスリーは「ノエルなんて、どうでもいい。オアシスは、90年代半ばにはよかったけど、もはや重要でも何でもない。今じゃ彼らはもう用なしさ。誰ひとりとして気にも留めないよ」とコメントしている。
- リアム曰く「あの名前、ひでぇもんだ。嫌いだ」
- 1990年代後半まではギャラガー兄弟とは親しい仲であったが、2000年の雑誌のインタヴューでノエルが「テイク・ザットのデブダンサー」と発言したあたりから、互いに嫌い合う存在となる。ノエルは売れ行きが思わしくなかったロビーのアルバムに対して「当然だ、あれは犬の糞だからな」と酷評したり、ロビーの悪口なら3時間は言えるとコメント。リアムは「鼻をへし折ってやる」と脅迫したり、Qアワーズの授賞式時に、壇上からロビーをからかう発言をしたこともある。ロビー・ウィリアムズは、ノエルの発言にタブロイド紙「The Sun」を通じ、白いバラの花束とカードで応えている。カードには「最新アルバムを聴きました。お悔やみ申し上げます」と書かれていた。また「ノエルが初めてテレビに出演したとき、あまりにも不細工だったから、カメラは彼の腰から下を撮るしかなかった」と自叙伝にて語られている。
- ノエル・ギャラガー曰く「牛乳1本でさえ自分で買いに行かない重要人物」。このノエルの悪口に対し、エルトンは「オアシスには我慢ならない。オアシスのベストアルバムがチャート一位を取れなくて本当に嬉しい。最大のヒット曲が抜けてて何がベストだ。 奴らには一位の資格は無い」と反発[41]。
- ノエルはかつて、「銃に1発だけ弾丸が込められているとしたら、誰を撃つか?」という質問に、フィル・コリンズかロビー・ウィリアムズと答えていた。
- ノエルは「俺はヒップホップを軽蔑している。大っ嫌いだ。エミネムはアホ。50セントは、俺がいままでの人生で会った最低の人間。あいつらに直接責任があるとは言わねぇけど、結局、若いガキが人を刺すってことが起きているだろ」とコメント[42]。
- ノエルは彼を一発屋だと言って非難。更にノエルは、ブラントが近くに引っ越して来るという理由で、イビサにある自身の別邸を引き払おうとしている。
- ノエルは「もし、魔法が使えるなら、マライア・キャリーを(この世から)消すね」と発言した。
脚注
- ^ a b c ノエル、ゲム、アンディの3人は、スタジオでの個人の曲作りの時にはギター、ベース共に使用しているとノエルが語っている。
- ^ http://www.vibe-net.com/news/?news=2000586
- ^ 「Oasis/アーティスト ニュース情報/HMV」
- ^ 「Oasis ボーンヘッド脱退の真相」 VIBE-NET.COM ニュース、2000年8月18日。
- ^ 「Oasis、Cobainに追悼を示す」 BARKS、2000年4月10日。
- ^ 「オアシスのNoel Gallagher、Liamは“バカ”発言」 BARKS、2000年6月14日。
- ^ 「Oasis 『兄弟愛ツアー』いよいよ幕開け」 VIBE-NET.COM ニュース、2001年5月14日。
- ^ 「オアシスのメンバーが交通事故でケガ」 BARKS、2002年08月8日。
- ^ 「Oasis リアムとノエル6週間も口きかず!」 VIBE-NET.COM ニュース、2002年11月21日。
- ^ 「オアシスのリアム、乱闘で歯を折りショウをキャンセル」 BARKS、2002年12月3日。
- ^ 「オアシス、ドイツ公演の日程をさらに延期。リアムが警官を蹴ったとドイツ警察が発言」 BARKS、2002年12月5日。
- ^ 「オアシスのリアム、暴行事件時に薬物を使用していた」 BARKS、2004年5月6日。
- ^ 「オアシスのリアム、暴行事件で700万円の罰金」 BARKS、2004年11月24日。
- ^ 「グラストン主催者、オアシスのステージに失望」 BARKS、2004年7月2日。
- ^ 「オアシスのノエル、新作の収録曲についてコメント」 BARKS、2005年3月24日。
- ^ 「Oasis 過去10年のチャートで最も成功したバンドに認定!」VIBE-NET.COM ニュース、2005年5月24日。
- ^ 「オアシス、シークレットギグでファン感涙のあの曲を……」 BARKS、2006年11月16日。
- ^ 「オアシス、シークレットギグでファン感涙のあの曲を……[写真編]」 BARKS、2006年11月16日。
- ^ 「オアシスのムービー試写会、ノエルの爆笑トーク・ショー」 BARKS、2006年11月17日。
- ^ 「オアシス初のロード・ムービー『Load Don't Slow Me Down』のプレミア試写会をレポート!」 VIBE-NET.COM ニュース、2006年11月24日。
- ^ “A STATEMENT FROM NOEL” (2009年8月28日). 8月29日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 「Arctic Monkeys - Norway Interview with VGTV」
- ^ 「IN DEPTH: killers rising, Mike Kalil, Review Journal」 2005年9月18日。
- ^ 「The Coral's official Myspace」
- ^ 「The View、「すべてはオアシスのおかげ」」 BARKS、2007年3月28日。
- ^ 「little by little - goo 音」
- ^ ノエルインタビュー(2000)
- ^ ギャラガー兄弟、ビートルズの新作を酷評
- ^ 音楽雑誌[CROSSBEAT] 2009年11月号
- ^ オアシスも大好きなザ・ラーズ、再結成
- ^ ノエル、ギターを手にしたのはジョニー・マーのおかげ
- ^ a b ノエル「ボノは黙ってろ、ヨークは“Creep”だけでいい」
- ^ 「オアシスのリアム、ピートのサポートに反対だった」 BARKS、2005年8月25日。
- ^ 「ピートとリアム、コラボ?」 BARKS、2006年11月21日。
- ^ Oasis、Cobainに追悼を示す
- ^ リアム、「コールドプレイを聴くと自殺したくなる」
- ^ 『教えて、ノエル!答えて、リアム!』~その4~
- ^ グリーン・デイ、オアシスのノエルから苦情!?
- ^ トム・ヨーク VS ノエル・ギャラガー
- ^ フランツ「リアムは不安でノイローゼ気味の女子高生」
- ^ エルトン、“オアシスを救え”キャンペーンに反対
- ^ オアシスのノエル「若者の暴力行為はエミネムのせい」