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女たちの忠臣蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
女たちの忠臣蔵
~いのち燃ゆる時~
ジャンル 時代劇
脚本 橋田壽賀子
演出 鴨下信一
出演者 記事本文参照
時代設定 元禄15年(西暦1703年
製作
プロデューサー 石井ふく子
制作 TBS
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1979年12月9日
放送時間日曜日21:05 - 23:55
放送枠日曜劇場
放送分170分
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女たちの忠臣蔵〜いのち燃ゆる時〜』(おんなたちのちゅうしんぐら いのちもゆるとき)は、1979年12月9日TBS系の「東芝日曜劇場」1200回記念として放送されたテレビドラマ

概要

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大石内蔵助宇津井健)に率いられた赤穂浪士ではなく、その妻や姉妹、恋人らの苦悩を描く時代劇である[1]。内蔵助の妻・りく(池内淳子)をはじめとして、残された女たちのドラマが幾重にも描かれ[1]瑤泉院佐久間良子)を、残される家臣の家族を思いやり、仇討に反対する側として。毛利小平太新克利)が赤穂浪士を抜けたのは、一緒に暮らしていた女が毛利の子を宿し、女から「この子を父無し子にしないで」と懇願されたから。大石瀬左衛門渡辺篤史)の姉・つね(香川京子)は目が見えず、内蔵助は瀬左衛門を討ち入りからはずそうとする。しかしつねは、見えぬ目で弟のための白装束を縫って、「私は独りで生きていける」と送り出す[1]。など、従来の忠臣蔵作品とは異なる様相を取り入れている。

このドラマを企画したプロデューサー石井ふく子は、"残される女"という切り口と参考資料についてこう語る[2]。「なぜ忠臣蔵は男ばっかりだろう? と若い頃から思ってたんですね。戦争と同じように、やっぱり女が家庭を支えないと駄目なんだ! と。男は戦争に行ってしまう。どうして残っている女の視点がいかないのかって……それで、ずっと調べたんだけど、りくとか瑤泉院とかしかなくて、わずかに講談本で盲目の姉ありっていうのが一行あっただけなんです」[2]

視聴率は42.6%(ビデオリサーチ関東地区調べ)で日曜劇場史上最高視聴率を記録し、連続ドラマ枠化された現在でもこの記録は破られていない(連続ドラマ枠化以降の最高視聴率は2013年9月22日の『半沢直樹』最終回で記録した42.2%)。

1980年に舞台化。石井ふく子演出で、帝国劇場御園座飛天明治座名鉄ホールで上演されており、キャストを替えながら現在まで公演されている。

あらすじ

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元禄15年(西暦1703年)12月、大石内蔵助ら赤穂四十七士は、2年前の復讐を果たすべく吉良上野介邸への討ち入りを計画していた。内蔵助の妻・りくたちは、彼らが戦いを起こすことを知りながらそれぞれの日々を過ごす。やがて訪れた12月14日、浪士たちは吉良邸へと向かい最後の勝負に挑む[3]

出演

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スタッフ

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関連商品

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  • DVD『女たちの忠臣蔵〜いのち燃ゆるまで〜』(2002年12月25日発売/キングレコード
  • 橋田寿賀子 著、石井ふく子 編『女たちの忠臣蔵 橋田寿賀子作品集』大和山出版社、1983年10月。ISBN 978-4896550788
    『女たちの忠臣蔵』、『姉妹』、『女たち』のシナリオを収録。

脚注

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参考文献

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  • こうたき てつや『昭和ドラマ史』映人社、2019年2月。ISBN 978-4871002394 

関連項目

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外部リンク

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TBS系 東芝日曜劇場1979年12月9日
前番組 番組名 次番組
女たちの忠臣蔵