スキナマリンクの考察というより妄想。映画本編のネタバレあり。
※この記事は個人の感想を述べたものであり、他者の意見や思考を批判・攻撃するものではありません※
これほどまでに業腹だったことはない
スキナマリンクを観た。
公式サイトのあらすじを引用しよう。こういう映画だ。
真夜中に目が覚めた二人の子供、ケヴィンとケイリーは、家族の姿と家の窓やドアがすべて消えていることに気づく。取り残された二人は、歪んだ時間と空間に混乱しながら、暗闇に潜む蠢く影と悪夢のような恐ろしい光景に飲み込まれていく―。
結論から言うと、映画体験としては結構最悪だった。
と言っても、予告編をきっかけに観に行くことを決意した時から、ある程度の覚悟はしていた。何故なら、公式サイトに大した情報が無かったから。
あくまで体感だが、こういうケースであり得るのは大まかに二つだ。
- ネタバレを極力避けようとしているタイプ
- 載せる情報そのものが無いタイプ
残念ながら今回は後者だった。これは例えるなら、メニューに『しょうゆラーメン』としか書かれてないラーメン屋のようなものだ。裏メニュー? 炒飯セット? そんなものはない。うちはそれ1本で勝負してるんで。そんな漢気さえ感じる潔さを前に我々が出来ることは「あっ、じゃあしょうゆラーメン一つ」と返すことのみである。
お出しされたしょうゆラーメンは最初こそ新鮮だったものの、味に変化が無く、また妙に麺量も多かった。劇場スクリーンに『The END』の文字が躍ったときには少し笑っちゃったくらいだ。「あ〜やられたなぁ」というアレである。
これが僕の理解力不足によるものならまぁしゃーない切り替えて行けって感じなのだが、上映後にネットで評判を漁った感じ、割と多くの人が僕と同じ感想を持ったようだ。その仔細な怨嗟の声をここで取り上げるのは止めておく。ただ、平日の仕事終わりに友人を誘って観に行って100分の闇を見続けた挙句、終電ギリギリに帰って翌日以降に疲れを持ち越すことになった、この負の感情だけは押し止めることが出来ない。
よって感情の昇華を目的に、この記事では『スキナマリンク』の分解を試みたい。大仰な言い方だが、要は「せめてどんなストーリーだったかくらいはハッキリ答えを持ちてえよ」ということである。これをしなければ、我々は仕事終わりの疲れた脳に解像度の荒い暗闇を叩きつけられに行っただけの阿呆と成りうる。
問題があるとすれば、劇中にて提示される情報があまりにも少ないことだ。しかし公式サイトでは本作をイマジネーション・ホラーと銘打っているので、こちらもその言葉に甘えて存分にイマジネーションを働かせていただく。いわゆる妄想である。
『スキナマリンク』――この悪夢的映画では何が描かれたのか。今日は、その喉元に喰らいついてみたい。
身を委ねて、どこまでも疲労を味わってほしい
まずはそこそこ真っ当に考えてみよう。結局、この映画はどんな話だったのか。
観終わった後に友人と話し合った結果、最もしっくり来たのは「全ては昏睡したケヴィンが見ている悪夢だった」だ。
冒頭、パパが誰かに電話していた通り、ケヴィンは寝惚けて家の中を彷徨い、階段から落ちた。パパが言うには「頭を縫うには至らなかった」そうだが、ケヴィンは意識不明の昏睡状態に陥った。そのケヴィンが昏睡状態で見ている悪夢が本作……ということである。
後に調べたところ、この説を唱えている方は他にもおられるようだった。解釈の方向性としては妥当なものと考えて良いだろう。何せ、下記の通り劇中の多くの事象に説明がつく。
- なぜ全般的に粗めなVHSっぽい画質になっているのか?
- ケヴィンの視界を示している
- 彼は4歳児であり、感覚器官が成熟しきっていない。また未知のものも多く、認識力が低い
- カメラが全体的に低めの位置からの視点になっているのも、本作が彼の目線から描かれたものだから
- なぜ家から出るためのドアなどが消えたのか?
- ケヴィンが「昏睡している」ことの示唆
- ケヴィンはその場から動けず、外に出ていく(自由に歩ける)状態にない
- 家で起きた数々の怪異は何か?
- ケヴィンが暗闇に抱く恐怖そのもの
- 彼は悪夢を見ている。家の中や同じ描写を繰り返すアニメなど、怪異の多くが「4歳児でも認識できる」ものであるのはこのため
- 怪異を起こしている化け物(映画の最後に出てきた女っぽいアレ)の正体は?
- ケヴィンの妄想、あるいは昏睡状態のケヴィンを死に誘おうとしている死神のような存在
- ケヴィンは昏睡状態で何度も死に進みかけているが、何とか踏みとどまっている
- なぜ家の中の小物が天井を這っていったり、挙句の果てにはケヴィンが天井を歩くような状態になっているのか?
- ケヴィンの精神が身体から離れていきはじめていることの示唆
- つまり魂が天に昇りはじめていて、ケヴィンは家の中を見下ろすような視点に変わりつつある
- 最終盤、反転した家の玩具とゴミのように積み重なったレゴブロックが遠ざかっていく映像は何か?
- いよいよケヴィンの容態が悪化しており、死に近づきつつある
- つまり住み慣れた家から遠ざかり始めている
ただ、この説には課題もある。っていうか矛盾と言ってもいい。以下がそれにあたる。
- 途中で挟まれる「572日目」という客観的なテロップの存在
- 本作が4歳児から見た悪夢を表現しているのだとすれば、「572日」という時間表現はあまりに正確すぎる
- このテロップだけはケヴィンの認識ではなく客観的な情報を提示していると考えられなくもないが、映像や音声も含めて全般的に(間違いなく意図的に)荒くしている表現を考慮すると、「テロップだけ客観的な情報を提示する」というのは違和感がある
- 2階に呼び出されたケイリー視点の映像の存在
- ケヴィンの悪夢だというなら彼以外の視点で映像が挟まれるのはおかしい
- おまけにその後、ケヴィンは「2階で何があったの?」とまで発言している
- ケヴィンが何も知らないフリをして「2階で何かあった? ねえ何かあった?(ニチャア」とケイリーに尋ねていたと解釈すればギリ切り抜けられなくもないが、その場合、ケヴィンはあまりに邪悪である。ダミアン(by『オーメン』)じゃねえんだから
- 「目をナイフで刺せ」という化け物からの命令
- 命令の内容があまりにも攻撃的かつ具体的すぎる
- ケヴィンの悪夢、つまり彼の脳の中で起きている出来事だとすれば、「殴る」とか「ぶつかる」とか「蹴る」とかもっと日常的かつケヴィンにとっても馴染みのある命令が下るはずだ。「ナイフで」は4歳児が思いつく攻撃手段にしては「危害を加える」という悪意があまりに強すぎる
- これもまぁケヴィンが『魔人探偵脳噛ネウロ』に登場するシックスのような邪悪であったとすれば理解できなくはないが、さりとて納得も出来ない。っていうかそろそろ反論が厳しい
- 繋がった911ダイアル
上記を友人にぶつけてみたところ「うーむ、そこを突かれると弱いな」と回答があった。この指摘にもそれなりの妥当性はあると考えて良さそうだ。
ただ、この記事の本旨は上記説の脆弱性を突くことでは決してない。っていうか僕はサッサと納得してスキナマリンクにお別れをしたいワケで、話を長引かせてどうする。
他に、何か無いだろうか。説でなくてもいい。ストーリーを理解(っつうか解釈)するための手掛かりは、他に。
ある。
一つは公式サイトに、もう一つは他でもない――この映画のタイトルに。
映画における出来事の認識を変える
そもそもタイトルの『SKINAMARINK』とはどういう意味か。調べてみたところ、どうも「Skidamarink(スキダマリンク)」という子供向けの歌が元ネタらしい。「スキダマ」ではなく「スキナマ」になっているのは、「子供がうまく発音できなかったことを示しているから」だそうだ。
何となく分かる。
我が家で言うと、子供の頃の僕は「バナナ」という言葉がうまく発音できず、いつも「ナナナ」と言っていたそうだ。子供にとって破裂音が難しいのは日本でもカナダでも変わらないようだ。大変微笑ましいですね。
何も微笑ましくはない。「スキダマリンク」という言葉は語感を楽しむものであり、それ自体に意味はないらしいのだ。この解釈に従うと本作はタイトルの時点で「この映画に意味なんてねえよベロベロバー!!」と言っていることになる。平日の深夜に期待して観に行った人間に対して喧嘩でも売っているのか?
納得しようとして更なる怒りを呼び込んでどうする。落ち着け。もう一つの手がかりへと目を向けよう。
公式サイトには著名人からのコメントが掲載されている。その中の一つに、こうある。
『夜眠ろうと目を瞑ったとき、続きが始まる』
テレビ東京プロデューサー、大森時生氏のコメントだ。『続き』。
成る程、と思った。
本作はケヴィンが怪異の黒幕である化け物に名前を尋ねるところで終わる。化け物からの回答は無く、突然に『The END』の文字がスクリーンに躍る。
このブツ切り感は、観客に「え? 何? 何だったの?」というもやもやしたものを抱かせる効果を持っているのだろう。こうして劇場から家に帰ると、映画の内容は観客の頭にこびりついたままだ。夜になると自宅にも闇が広がる。きっぱり「はぁ~終わった~」という感覚はないままだから、自然、自宅に広がる闇は映画で描かれた闇とリンクする。こうして『悪夢』が観客の身に『にじり寄る』。
恐らく、本作の冒頭でエンドクレジット(出演者やスタッフの紹介)が流れるのも、このブツ切り感を最優先したためだろう。エンドクレジットが流れると嫌が応にも「映画は終わった」という気持ちの区切りが出てしまう。この映画はそれを嫌ったのだ。
つまり、こう考えるべきなのではないか。「劇中のあらゆる要素が観客に『悪夢のお持ち帰り』を強要している」。そしてこの視点で改めて『SKINAMARINK』というタイトルを見た時、僕はその意味をこう解釈した。
これは「この映画に意味はない」と言いたいのではない。
「(子供が純粋に語感を楽しんで歌うように)余計なことを考えずありのままを観ろ」と言いたいのではないか。
以降、考察から妄想の領域に入る。
狂気的であると同時に偏執的なノイズキャンセリング
抱いた感情を劇場で終わらせるのではなく、家に帰っても引きずって欲しい。闇に恐怖を抱いて欲しい。だから余計なノイズは生まないようにしよう。本作がそういった考えで撮られたものだとすると、実に多くの疑問が氷解する。
- なぜ全般的に粗めなVHSっぽい画質になっているのか?
- 暗闇の不気味さを強調するため
- なぜ家から出るためのドアなどが消えたのか?
- 「家から出られない」ことを端的に示すため
- あと恐らく「トイレを消す」ため。トイレがあると終盤の重力反転現象で「これ水場は大惨事じゃね?」というノイズが生じうる
- 家で起きた数々の怪異は何か?
- 妄想や恐怖が生み出した幻影とかではなく、実際にケヴィンたちを襲った超常現象
- 怪異を起こしている化け物(映画の最後に出てきた女っぽいアレ)の正体は?
- ケヴィンたちを襲っている悪霊のようなもの
- なぜ家の中の小物が天井を這っていったり、挙句の果てにはケヴィンが天井を歩くような状態になっているのか?
- 実際にあの家の中ではそういった超常現象が発生しているから
- 最終盤、反転した家の玩具とゴミのように積み重なったレゴブロックが遠ざかっていく映像は何か?
- ゆっくりと動いていた各種レゴブロックが何百日と経過する中で最終的にああして家の一角に集まったということ
- 途中で挟まれる「572日目」という客観的なテロップの存在は?
- ガチのマジで「572日」が経過している
- 2階に呼び出されたケイリー視点の映像の存在は?
- ガチのマジでケイリーの身に起きた出来事である
- 「目をナイフで刺せ」という化け物からの命令は何?
- 化け物による悪意のある攻撃。或いはケヴィンを自らの束縛下に置きたいという化け物の気持ちの表れ
- なぜ911ダイアルが繋がった?
- 化け物によるケヴィンへの攻撃、或いはイタズラ
- で、結局この映画はどんな話だったの?
- 観たまんま。とある一家が化け物に襲撃されて暗闇に囚われた。最初にパパが、次にケイリーが襲われ、最終的にケヴィンが化け物に対峙するところで終わる
完全に蛇足だが、本当なら監督はパパすら登場させたくなかったのではないかと思う。何故って、パパがいなくてもこの話は完結できるから。
ただ、パパが登場しない場合、それはそれで「んじゃそもそもこの空間って現実なの? パパママって本当に存在するの?」というノイズが生じる可能性がある。だから出演させた。
ママも登場させたくない。だから別居中であり、登場しなくても自然であるということをパパやケイリーのセリフから匂わせた。しかし本作の主要時間帯は深夜だから、自然な流れで「パパとママが離れて暮らしている」ことを示すには何か理由が必要だった。だからケヴィンには階段から落ちてもらった。これで「頭を縫う程じゃなかったけど怪我をしたから一応連絡しておくね……」という電話の口実が出来る。
……。
実を言うと、化け物の正体についてはママであるような気がしないでもない。ママには本作の中でも異例な長台詞「あなたたちを愛している」があるし、最終盤で提示される化け物も女性の姿だ。子供たちを閉じ込めるというのも歪んだ愛情・執着によるものと見なせる。ただ、ハッキリと「〇〇だからこの化け物はママだ」ということが出来ない。だからこの話は「そんな気がする」程度に留めよう。
それに化け物の正体が何であれ、それは本作の本質とはおよそ関係がない。監督がもたらしたいのは『悪夢』だ。これは公式サイトの各情報(特に寄せられたコメント)からして間違いない。正体に関係なく『悪夢』は『悪夢』だ。
映画を観終わって家に帰った後、明かりの消えた部屋に入った時。或いは眠る前に電気を消した時。夜中にふと目が覚めてトイレに立った時。大人にとっては何の変哲もない日常だが、そこで目にする闇にふとした不気味さを覚えたなら、それはこの映画がもたらしたかったものを貴方が受け取ったということに他ならない。おめでとう、合格です。僕は手を叩こう。子供のように無邪気に。
……。
いや煽ってるつもりじゃないです。ホントに。
そうそう、煽っていると言えば、この記事を書き始めるちょっと前に下記の記事を見つけた。
是非読んでみて欲しい。監督はこう言っている。
「あえて観客を意識することはしませんでした」
意識して???
以上、
【SKINAMARINK/スキナマリンク】 イマジネーション・ホラーにはイマジネーションをぶつけんだよ!
の項を終わろうと思う。ここまで読んでいただき有難うございました。