Work Text:
ヘッドライトの川が流れていくバンコクの夜の中、コングポップは車のハンドルを握っていた。
社会人にもなり普段はきっちりと着こなしているスーツ姿とは打って変わり、今はラフな室内着のまま、ふらりと外に出てきたと言わんばかりの出で立ちで、アクセルを踏み込む。
呼び出されたのはほんの数十分前。
『お前の妻が酔い潰れたから迎えに来てくれよ』
という助けを求めているのかからかっているのか判別のつかないメッセージが飛び込んできた。
これがただの同級生であったり、親しい上級生の話であれば放っておくところだが、ことは社会人になり共に暮らし始めたっ最愛の恋人のことである。
一も二もなく二人の家を飛び出して今この路上にコングポップの運転する車がある。
呼び出されたブライトの店の駐車場に車を止めて、落ち着いた照明の店の中に駆け込む。
「おー!コングポップ!こっちだ!」
店の奥のソファ席からブライトが手招きをしている。
両手を合わせて会釈を返しながら呼ばれた席に向かう。
ノットに、プレームに、トゥッタ。顔なじみの上級生たちの中に、ソファの上で丸くなって眠っているアーティットがいる。
今日はいつもの皆と飲み会があるから帰りが遅くなる、とは聞いていた。
「悪い、ちょっと飲ませすぎた」
謝るノットに大丈夫ですと首を横に振って、コングポップはアーティットの眠るソファの傍らに屈みこむ。
すやすやと安らかな寝息を立てている恋人は完全に夢の中で、コングポップは自分が呼び出された理由を察する。
アーティットは、非常に寝起きが悪い。
これほど安らかに眠っているとなると、無理矢理起こした相手にはかなりキツい態度で当たるのが目に見えている。
確かにそんな不機嫌なアーティットの機嫌を取りながら家まで送り届けるのは至難の業で、それならば扱いに長けた恋人に丸投げしようというのも頷けないこともない。
「もう連れて帰っていいんですか?」
「うん。俺らもそろそろ帰るところだから」
「アーティットだけ置いて帰るわけにはいかないでしょ?」
プレームとトゥッタに言われて、わかりました、と優等生は頷いてそっと恋人の肩を叩く。
「先輩」
安らかに眠っていたアーティットの眉間に皺が寄る。
「先輩。起きてください。帰りますよ」
コングポップはまるで起こす気がないのではと思われるほどに優しい声をアーティットの耳へと注ぎ込む。
その眉間に不機嫌そうな皺が寄る。
「んん…あと…五分…」
「だめです」
声は優しくとも、二度寝は許さないという確固たる意志を持った声に、アーティットの瞼が震えて僅かに開く。
「…んん…ん…?」
目を開けた途端に眼前にあったコングポップの顔に、アーティットは不機嫌な顔を隠そうともしない。
見守るアーティットの友人たちは気が気ではない。
彼らが起こそうとしたならば、このあたりからアーティットの理不尽な言いがかりが始まるからだ。
「起きてください」
「んん………やだ…」
「ソファじゃなくて、家に帰ってベッドで寝ましょう?」
ね?とぐずる幼子をなだめるように、コングポップは甘く説き伏せる。
「…やだ…ここで寝る」
「だめです。帰りましょう?」
「やだ」
てっきりアーティットが怒鳴り散らかすとばかり思っていた同級生たちは、思わぬ展開に目くばせをする。
なるほど。この甘い甘い恋人は毎朝このようにしてこの癇癪持ちを起こすのかといっそ感心したような顔で成り行きを見守っている。
「わがまま言わないで、ね?」
「んん……」
不機嫌な顔で頬を膨らませたアーティットは、唇を尖らせて言う。
「じゃあちゅーしろ」
ざわ、とテーブルの空気が揺れる。
背後でスマートフォンを構える上級生たちの気配を感じ取り、コングポップはあー…と珍しく歯切れの悪い言葉を口にする。
「…家に帰ってからにしましょう?」
「なんでだよ。いつもしてくれるだろ」
うぅーいー、と冷やかすような声を背に、コングポップは指の節で額を押さえる。
毎日毎朝キスで恋人を起こしているのは紛れもない事実ではあるが、ここで裏目に出るとは思っていなかった。
「…人が、見てますから…」
「やだ。ちゅーしてくれなきゃかえらない」
呂律も怪しい口ぶりで言われて、コングポップは頭を抱えてしまう。
キスでも何でもして連れて帰って思う存分甘やかしたいところだが、背後には油断のできない上級生たちが今か今かとカメラを構えている気配がする。
ここで写真でも撮られようものなら後から上級生たちにも、眼前の恋人にも何を言われるかわかったものではない。
しばらく考え込んだコングポップは、なにかを思いついたように顔を上げる。
「わかりました」
よし、と目を閉じるアーティットに顔を寄せて。
コングポップはその頬へと、柔らかく口付ける。
背後でスマートフォンのシャッター音がする。
「…なんだよ」
不満げな顔をするアーティットに、コングポップはその唇に指で触れて、告げる。
「続きは、家に帰ったらしてあげますから」
むう、と不満げな顔をしていたアーティットだったが、最終的には渋々と頷く。
差し出されたコングポップの手を取って、肩を支えられて立ち上がる。
「じゃーなー。お前らもはやくかえれよー」
コングポップに支えられながらよたよたとテーブルを後にするアーティットを見送ってから、残された四人は深々とソファに沈み込む。
「…アレが新婚ってやつか?」
「いやー…愛だねぇ…」
「…やっぱ俺たちが送った方が良かったんじゃないか?」
「馬鹿。そんなことしたらまたアタシたちが『なんでこんなに飲ませたんですか?』って嫌味言われるだけよ」
コングポップを呼び出したのは、酔い潰れた恋人の姿をあまり人に見せたくないのであろう後輩の不機嫌な顔を見たくなかったからでもあったが。
今まで見たことのない甘え方をする親友の姿にまいったなと言いながら、四人とも別々の角度から獲った頬へのキス写真をグループメッセンジャーへと次々に投稿する。
酔い潰れたアーティットを支えて帰りながら、どこか幸せそうに口元を緩めていた後輩が、明日の朝にアーティットから当たり散らかされますようにと願いながら。