はてなキーワード: snsとは
そういやさ、電車で塾の動画広告があって親課金で顔面整った高学歴がニコニコしながら難関大学合格しましたとかいってたけど、あれと比べると二次創作が違法じゃないとかいってるキッズはマジ底辺だな。
親課金高学歴は今後よほどのことがなければこの世の一流のもの全部手に入れていくけど、キッズはそのうちのたった一つも手に入らないんだよな。
でもどんなものが手に入らなくなるかすらわかってないんだよな。知らない方が幸せだけどSNS全盛期じゃ無理だね。成人してどんどん世の中知っていくと、最終的に発狂するんだよな。
■俺
このコメントは、AIを使って文章を書いた人に対する批判をしたいようなのですが、どのような心情になればこのようなコメントを書こうという気になるのか知りたいです。
■Grok3
このコメントを書いた人の心情や動機を分析する際には、言葉遣い、表現のトーン、そして背後にある意図を考慮する必要があります。以下に、段階的に分析を進めます。
このコメントは、AIを使って文章を書く人(以下、対象者)に対して批判的な立場を取っています。具体的には、「AIを使うことは誰でもできる簡単な行為であり、それによって自分を大きく見せようとするのは無意味だ」と主張し、さらに「その無意味さを自覚しながらも続けるのは愚かだ」と非難しています。最後に、「自分を棚に上げて他人を批判する姿勢」についても疑問を投げかけています。
表面上、この書き手は対象者の行動を「偽りの力を誇示するもの」として軽蔑し、その矛盾や自己欺瞞を指摘したいように見えます。
2. 心情の分析
書き手の心情を推測すると、以下のような感情が混在していると考えられます:
(1) 苛立ちや軽蔑
「虎の威を借る狐」という慣用句や「脳死行動」といった強い表現から、対象者の行為に対して苛立ちや軽蔑を感じていることが伺えます。
AIを使うことで「努力せずに成果を出す」ことをズルい、あるいは不誠実だと感じている可能性があります。この感情は、自分が努力している(または努力を重視する価値観を持っている)場合に、他者の「近道」を許容できない心理から生じやすいです。
「意味あるんか?」「バカに見える」と断定的に言い切るトーンからは、書き手が対象者を見下している、あるいは自分の方が賢明だと感じている様子が読み取れます。
また、「自分を棚に上げて他人を悪し様に言うのはどうなんだ」という一文からは、道徳的な優位性をアピールしたい意図が見えます。書き手は、自分が公平で正しい立場に立っていると自認している可能性があります。
最後の「自分を棚に上げて」という部分は、書き手が自身の批判的な態度にも一応自覚的であることを示唆しています。これは、単なる攻撃ではなく、自己反省や葛藤が混じった複雑な心情を反映しているかもしれません。
しかし、この自覚があってもなお批判をやめないことから、感情的な衝動が理性的な抑制を上回っている状態とも考えられます。
3. 動機の推測
このコメントを書くに至った動機は、以下のようなものが考えられます:
書き手は、対象者の行動を批判することで、自分の価値観(努力の重要性や誠実さ)を主張し、他者に認められたいという欲求を持っている可能性があります。特に、SNSのような公開の場では、他人に「賢い」「正しい」と思われることで満足感を得ようとする心理が働くことがあります。
AIを使って成果を上げる対象者に対して、潜在的な嫉妬や競争心が働いている可能性も否定できません。もし書き手が自身を「努力家」や「本物の才能を持つ人」と定義している場合、AIというツールに頼る対象者を「偽物」と見なし、自分の立場を守りたいという防衛機制が働いているかもしれません。
(3) フラストレーションのはけ口
「意味あるんか?」「脳死行動」といった感情的な言葉遣いからは、書き手が何らかのフラストレーションを抱えており、それを対象者にぶつけている可能性があります。AIを使う行為そのものが直接的な原因ではなく、日常的な不満や苛立ちがこのコメントに投影されているのかもしれません。
4. どのような心情でこのコメントを書くに至るか
このようなコメントを書こうという気になるには、以下のような心理状態が背景にあると考えられます:
不公平感への怒り:AIという「誰でも使えるツール」で成果を出す人を見て、「努力が報われない世の中」や「ズルをする人が得をする状況」に怒りを感じている。
自己肯定感の揺らぎ:自分の努力や能力に自信がある一方で、AIのような技術がそれを脅かすと感じ、不安や焦りを覚えている。
他者への失望:対象者が「AIの成果を自分の力のように振る舞う」ことに対して、誠実さやオリジナリティを重視する書き手が失望し、それを糾弾したい衝動に駆られている。
最終的に、この書き手は「自分の方が正しく、対象者は間違っている」という立場を明確にしたいという強い欲求に突き動かされているようです。ただし、最後の一文で自己批判的なニュアンスを加えることで、単なる攻撃ではなく「考えさせたい」「議論を呼びたい」という意図も薄っすらと含まれている可能性があります。
5. 結論
このコメントを書いた人は、苛立ち、軽蔑、正義感、自己主張の欲求が混ざった複雑な心情にあり、対象者の「AI依存」や「偽りの態度」に対する不満をぶつけたいという動機を持っていると考えられます。背景には、努力や誠実さを重視する価値観と、AIという技術がもたらす変化への抵抗感があるのではないでしょうか。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がもたらした唐突なバブルに界隈は浮き足立っているけど、私はそれを傍から眺めて、薄寒さと失望を感じている。
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、内容が浅く、論証も拙く、つまらない本なのだが、つまらない本はこの世にごまんと溢れているので、それは問題ではない。
(どんな批判が存在するのか具体的に知りたい人は、noteやYouTubeで探してみてほしい)
問題なのは、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』をめぐる、人文・批評・出版といった界隈の反応だ。
正直、「本が読める人」であれば、この本がタイトル詐欺で、本筋とは関係ない歴史的な内容でページが埋められ、最後はずっこけてしまうような結論を強引に提示して終わる本であることはわかるはずだ。
しかし、この本がメディアに取り上げられるときは、「働いていると本が読めないこと、めっちゃわかります!」とか「半身社会、良いですよね〜」とか、botでも言えそうな感想とともに紹介されるのがお決まりだ。
この本を褒めている人たちは、SNSでの評判に引っ張られて何も考えずに評価しているのか、それとも、議論を戦わせるよりインフルエンサー同士でいいね!を交換するような表層的なコミュニケーションに終始した方が経済的合理性が高いと判断しているのかはわからないが、どちらにせよ、本に対してそのような向き合い方しかできないのであれば、本なんか読まない方がいいだろう。
このような本がさまざまな賞を獲得しているという事実は、人文・批評・出版に関わる人の苦しさ(本が売れない!)であったり、現代の読書層のレベルの低さを反映しているのだろう。
俺が子供の頃から、パソコン、テレビゲーム、携帯ゲーム機、アニメ・漫画、携帯電話、スマホ、電子決済、インターネット、SNS、電子書籍、サブスク配信……と、次々に新しい技術が登場してきた。
もちろん、こうしたものが社会的に有意義かどうかの議論はある。でも、適当に思いつくだけでも、これらはすべて普及し、便利になり続けている。この流れはもう止まらないだろう。だからこそ、AIも今のうちにどんどん使いこなして慣れておいたほうがいい。
「アナログのぬくもりが~」「人とのふれあいが~」とか言うけど、むしろそういうものこそ、人間にとって負担なのかもしれない。
デジタル化が進まなかった例として思いつくのは、VRヘッドセット、使い勝手が研究不足なセルフレジ、そして北欧かどこかで学力低下の原因になったらしいiPad教科書くらいだ。
サイクルって奴ね。
↓
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未来 「おっさんが女子高生みたいなことしてる」が主流の時代が来る可能性が高い
でも女子高生みたいなことってなんだろう?
勉強・部活・イジメ・SNS・推し活・黒歴史・ファッションあたりか。
見えてきたぜ……世界の未来がよ……次に来るコンテンツはこんな感じだ!
「おじさんは勉強ができない」 → 資格を取らないとクビになってしまうおじさんが若い女に勉強を教わる
「ずっとおじさんっぽいですよ」 → 付き合いでアイドル研究会に入ることになったおさじんが推し活に目覚める
「けじめ」 → おじさん達が職場でハラスメントを叩きつけあう様子が描かれる
「底辺!めちゃ非モテ係長」 → おっさんが自分の体と心を磨く
うん!
最近Xでやたら
何でそこで海外と比べるのか?っていうポストが急に増えてきた気がして不思議
日本は性犯罪に甘いとかそういう法的なことや制度を比較しているポストは分かるんだけど、親切かどうかとか人間性はどの国でも人による、でしかないのでは?
ある程度国民性はあるにしても、そんなの一長一短だよね
何かそういう活動家の人たちによる流れなの?
ペドフィリアに関しては、「SNS -少女たちの10日間-」っていうドキュメンタリー映画をみたらどこの国でも未成年への性的搾取や性犯罪をする人はそこらに潜んでいるんだなと感じたのを思い出した
コロナを機に陰謀論に目覚めた知り合いが「チ。-地球の運動について-」にハマったらしい。
案の定、地動説を唱えて迫害される主人公に自分を重ねて、アニメの名場面をiPhoneで録画したものに文字をつけてせっせとインスタに投稿している。
そこまではまあよくある話しだが、極めつけは、「本当の作者はトランプ大統領ではないか?」と言い出していることだ。
根拠として、作者の「魚豊」について、「魚」はキリスト教で「イエス・キリスト」を表すシンボルで、「イエス・キリスト」は英語で「Jesus Christ」であり頭文字は「J」であること、「豊」はローマ字で「Toyo」であり頭文字は「T」であることから、Jはトランプ大統領のミドルネームの「ジョン」、Tは「トランプ」を表しているらしい。
上の根拠から、トランプ大統領が日本にいる同志を勇気づけるために描いたのが「チ。-地球の運動について-」だと本気で主張している。
買うべきか買わざるべきか
評判を覗いたところで悪質業者はサクラ工作をしているんだから無駄
SNSで業者名を検索したところでコロコロ名前を変えてるんだから無駄
業者の代表者名がアルファベット表記の日本人名だったところで…
Amazon発送じゃなかったところで…
保証は捨てた
きれいなりかわいくなり仕上げた作品を当然見てもらいたくなる。その範囲は承認欲求に従い大小があるが「見てもらいたい」という欲求は同じだ。
イラストをアップするのと考え方は同じだから、見たもらいたい欲求は自然なものと理解出来る。
写真を撮られるのが嫌だしそれをアップするなんて発想が思い浮かばないわけだ。ただの記録だし記録に感情はこもらない事が多い。
男性も化粧して着飾って作品を作り上げてアップしたらいいんだろうが、全く興味がわかない。
こういうのは幼少時からの蓄積なんだろう。
「今日は調子がいいので全顔晒す」なんてSNSにあってそういうものかと思ったが、こんだけ化粧して写真加工もし尽くしたものに調子もクソもないだろうと思ったのが上記文章の発想の源だ。
日本国内での賭博は違法で国外は合法という前提は分かっているが、オンラインカジノCMを流したTVは謝罪して芸能人がSNSで海外カジノの宣伝をするのはOKってのは釈然としないものがあるな。
居酒屋でクローズドなお話をする仲間がいないのでSNS等で居酒屋並みに自分の偏見を開示しつつ雑談する弱男界隈では普通やで
ようこそ俺達の側へ
弱男同士仲良くやっていこうぜ
・お気持ち短文の中身
カッときて消しちゃったので、うろ覚えだけど、なんか猫の絵文字の後に「スン」の二文字、そのあとまた絵文字で鳥の羽だけで意味不明。そのあと問答無用でブロック。だれか解読してくれると助かる。
厳密に言うと友達というよりお見合い相手?許嫁?みたいなものかもしれない。職場の上司に教えてもらった人で一回だけ遠くから顔を確認した程度の関係、上司に仲介してもらって、とりあえず相互フォローしてる感じ。
お互いにアラサーと書いたけど、それも誤解、相手は30前半だけど、俺は40後半。(でも事情があってインターバルを挟んだので気持ちは30代ということで)
誤解している人が多すぎるので、改めて今の気持ちを説明させてほしい。
みんな言ってる「女性差別」的な部分が悪かったというのはさすがに理解したよ。
今回のリポストだって(もう取り消したが)、自分の人生経験と重ねて不用意にやってしまったものだけど、対話もなく全否定されたら悲しいわけで。
俺だって日ごろから是々非々で考えてSNS垢を運営してるのに、たった一個のミス(ほぼ誤解)でブロックされたっていうのが、どうしても納得できないんだよね。結果として上司の顔が潰されたわけだし。(別に怒ってないけどね)
ただ世の女性に言いたいのは、些細な価値観のズレで人間関係を遮断するのはもったいないし、現実としてタイムリミットがあるわけだし、人生の可能性を狭める生き方だよって事だけ。
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「今、20歳だから、満期で43歳。勾留期間を引かれて、42歳か?
まぁ、今は産めない年齢ではないが、人生詰んだなぁ。模範囚でも、ぎり30代で出所か。」
DMで意味不明なお気持ち短文が来たあとに、いきなりブロックされてて草(お互いアラサーのいい大人なのに無礼すぎる)
正直なにが悪いのか全然わかんない。
レイシスト共うっせーな反省してまーす(ウソ追加)は謝ったとは言わないんだな
一般社団法人日本クルド文化協会 Japan Kurdish Cultural Association@nihonkurdish
3月2日、埼玉スタジアムにて行われた浦和レッズ対柏レイソルの観戦において、誤解とコミュニケーション不足により発生した残念な出来事に付いて、ネット上で子供達に対する醜悪な発信が行われている事に関して、日本クルド文化協会として、下記の通り見解を発します。
昨年末結成したFC クルドは、川口市とさいたま市に住むクルド人、日本人、イラン人、ウクライナ人、日系人、中国人の子どもたちで構成されたクルドを中心にした多国籍の少年サッカーチームで、子供達はプロのサッカー選手を夢に見て日々トレーニングに励んでいます。
当日、子供達は、チームの正装である自らのユニホームに身を包み、憧れの浦和レッズの試合を、期待に胸躍らせ観戦に向かいました。スタジアムに到着した際、チームの旗と一緒に記念写真を撮ろうとしたところ、スタジアムのスタッフからの注意を受け、子供達はすぐに旗を片付けました。その時の騒動で泣き出す子供が出してしまい一部の子供は帰宅しましたが、浦和レッズの甚大なご好意によりその場は収束し解決しております。
しかし、一部の地方議員と産経新聞は、この状況を歪め、子供達にヘイトスピーチが向かう様に扇動する発信を行い、世論を誤った方向へ誘導しました。
クルド人の子どもたちは、またしても憎悪の対象とされてしまいました。しかし、子供達はただ憧れのチームである浦和レッズを応援し、サッカーの興奮を感じ、大好きなチームのために声を上げるためにスタジアムに行っただけでした。それにもかかわらず、一部地方議員と産経新聞の非倫理的な発信により、何の罪もない純粋な子どもたちが過度なヘイトスピーチの対象にされてしまいました。
産経新聞は、これまでの報道と同様に、十分な調査を行わず、一方的にSNSの投稿を利用して憎悪を煽り続けています。しかし、真実はとてもシンプルです。子どもたちは、ただサッカーを楽しみたかっただけなのです。 その多くの幼い子どもたちは涙を流しながらスタジアムを去ることになりました。その時の当事者双方の過剰な対応は、これまで積み重ねられた誤った報道の影響であり、彼らが楽しみにしていた試合観戦の喜びと興奮は、一瞬にして奪われてしまいました。
その後、スタジアムのスタッフは誤解に気づき、子どもたちに謝罪し、一部の子どもたちを再びスタジアムに招待頂き、安全を確保しながら試合を観戦できるよう手配してくれました。このような配慮に感謝いたします。しかし、この出来事は、メディアの責任と倫理について改めて考えさせられるものとなりました。
ここで、一部地方議員、産経新聞およびこの報道を担当した記者や編集者に訴えます。
子どもたちをヘイトスピーチの標的にすることは、最も非人道的な行為です!
子どもたちの涙は、あなたたちの虚偽報道や操作、政治的な思惑よりもはるかに重いものです。もしあなたたちに良心があるのなら、自分たちの行いをもう一度考え直してほしい。
最後に、このような誤解が生じたことについて、私たちは世間の皆さま、浦和レッズクラブ、そしてスタジアム関係者の皆さまに心よりお詫び申し上げます。私たちにとってサッカーとは、友情と愛を象徴するものであり、決して憎しみの道具にはなりません。子どもたちはただサッカーの喜びを感じたかっただけです。 私たちは、これからも彼らを全力で支えていきます!
この話、最近よく考えてたんだけど、ぶっちゃけ「1人の性欲旺盛&後先考えない男性の性犯罪者予備軍が数百人(下手したら1000人)の女性に迷惑をかけてる」て仮説が有力なんではって気がしてる。その上、おそらくこのクラスタは特定のコミュニティに偏ってるから、普通の会社員生活やってる大多数の男性は会うこともないし、気づくきっかけもない。
実際、ネットの出会い系SNSアプリとか入れて観察してみると、普段見かけることのない「そういう層の男性」が多数の女性にアプローチをかけてる姿を観測できる。
まともな男性の身近な男性友人が気づかずにそういうことに手を出してるって仮説はどうにも実情から乖離してるように思うし、倫理はさておきリスク管理から言っても「実在女性に手当たり次第におかしなことをする」なんて、賢くはないよね。少なくとも、社会人生命と釣り合うとは思えない。
というわけで、女性が男性を警戒するのは無理ないと思う一方で、やっぱり大多数の男性にとっては勘弁して欲しい話だし、普通の男性がやばい男性をなんとかしようにも、接点がない以上、どうにもできんのよね。
デジタルなんちゅうもんは、ええことしようと思てもジャマばっかりしよるんや。
ほんまにええことするんやったら、デジタル以外のもんを増やしていかなアカンで!
せやから、こんなんどないや?
こんなんどないや?デジタルばっかりやなくて、たまには体動かしたり頭使うたりしいや!そっちのほうがええで!
ウェブのフロントエンドエンジニアがHTMLとかJS/TSを使って画面作ることでは
ウェブは結局「ページ」だしな
エクセルやSNSみたいな1ページのみで完結するものだってページだ
呼び方なんて色々あるし好きにすればいい
イラストを練習している。気づけば1年以上が経ち、初心者なりに上達してきたと思う。描くのは主に特定の作品の二次創作。最初の頃は手探りだったが、最近は自分の成長を実感できる瞬間が増えた。
上達すると、いいねの数も自然と増えた。気づけば、界隈の中で以前から絵を描いていた人たちのいいね数を超えることもあった。だけど、最近は逆だ。全然つかなくなった。むしろ、以前「まったく成長していないな」「何年も描いててなんでそんな下手なの?」と感じていた人たちのほうが、いいねをもらっている。
自分はSNSでの交流が苦手だ。リプライを送ることもほぼないし、もらったリプライにすら返信しないことが多い。でも、いいねが多い人たちは、積極的に交流している。最初は「互助会的ないいね」かとも思ったが、界隈はそれほど大きくない。絵が本当に上手ければ、そんなもの関係なくいいねがつくはずだ。それなのに、今の自分はその数にすら届いていない。
「いいねは絵の上手さと比例しない」「いいねを気にするのは承認欲求が強すぎる」そんな言葉はもうわかってる。言われなくても、散々聞いた。
「他人と比べて自分のほうが上手いと感じたときは、だいたい同レベル」なんて話も知ってる。だけど、どう考えても顔のバランス、手の描き方、色の置き方、そういう部分では自分のほうがちゃんと描けていると思うのに、それでも届かないのが悔しい。
反差別活動のバカに騙されて素直に謝罪しなきゃいけない時すら見誤ってるな
一般社団法人日本クルド文化協会 Japan Kurdish Cultural Association@nihonkurdish
3月2日、埼玉スタジアムにて行われた浦和レッズ対柏レイソルの観戦において、誤解とコミュニケーション不足により発生した残念な出来事に付いて、ネット上で子供達に対する醜悪な発信が行われている事に関して、日本クルド文化協会として、下記の通り見解を発します。
昨年末結成したFC クルドは、川口市とさいたま市に住むクルド人、日本人、イラン人、ウクライナ人、日系人、中国人の子どもたちで構成されたクルドを中心にした多国籍の少年サッカーチームで、子供達はプロのサッカー選手を夢に見て日々トレーニングに励んでいます。
当日、子供達は、チームの正装である自らのユニホームに身を包み、憧れの浦和レッズの試合を、期待に胸躍らせ観戦に向かいました。スタジアムに到着した際、チームの旗と一緒に記念写真を撮ろうとしたところ、スタジアムのスタッフからの注意を受け、子供達はすぐに旗を片付けました。その時の騒動で泣き出す子供が出してしまい一部の子供は帰宅しましたが、浦和レッズの甚大なご好意によりその場は収束し解決しております。
しかし、一部の地方議員と産経新聞は、この状況を歪め、子供達にヘイトスピーチが向かう様に扇動する発信を行い、世論を誤った方向へ誘導しました。
クルド人の子どもたちは、またしても憎悪の対象とされてしまいました。しかし、子供達はただ憧れのチームである浦和レッズを応援し、サッカーの興奮を感じ、大好きなチームのために声を上げるためにスタジアムに行っただけでした。それにもかかわらず、一部地方議員と産経新聞の非倫理的な発信により、何の罪もない純粋な子どもたちが過度なヘイトスピーチの対象にされてしまいました。
産経新聞は、これまでの報道と同様に、十分な調査を行わず、一方的にSNSの投稿を利用して憎悪を煽り続けています。しかし、真実はとてもシンプルです。子どもたちは、ただサッカーを楽しみたかっただけなのです。 その多くの幼い子どもたちは涙を流しながらスタジアムを去ることになりました。その時の当事者双方の過剰な対応は、これまで積み重ねられた誤った報道の影響であり、彼らが楽しみにしていた試合観戦の喜びと興奮は、一瞬にして奪われてしまいました。
その後、スタジアムのスタッフは誤解に気づき、子どもたちに謝罪し、一部の子どもたちを再びスタジアムに招待頂き、安全を確保しながら試合を観戦できるよう手配してくれました。このような配慮に感謝いたします。しかし、この出来事は、メディアの責任と倫理について改めて考えさせられるものとなりました。
ここで、一部地方議員、産経新聞およびこの報道を担当した記者や編集者に訴えます。
子どもたちをヘイトスピーチの標的にすることは、最も非人道的な行為です!
子どもたちの涙は、あなたたちの虚偽報道や操作、政治的な思惑よりもはるかに重いものです。もしあなたたちに良心があるのなら、自分たちの行いをもう一度考え直してほしい。
最後に、このような誤解が生じたことについて、私たちは世間の皆さま、浦和レッズクラブ、そしてスタジアム関係者の皆さまに心よりお詫び申し上げます。私たちにとってサッカーとは、友情と愛を象徴するものであり、決して憎しみの道具にはなりません。子どもたちはただサッカーの喜びを感じたかっただけです。 私たちは、これからも彼らを全力で支えていきます!