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国立の木造駅舎はなぜ”復原”できたのか 解体危機を逃れた「赤い三角屋根」

旧駅舎がオープンしたときの様子(撮影:2020年4月)

2020年4月、「赤い三角屋根」の木造駅舎として親しまれていた旧国立駅舎が国立駅南口の駅前に、駅舎から公共施設へと役割を変えて再び姿を現しました。旧駅舎はJR中央線の高架化工事で解体されることが決まっていましたが、地元住民から保存を求める声が強くあがっていました。そうした声を受け、国立市も保存に向けて動き出し、JR東日本と協議。その結果、駅前に再築されることになったのです。

昨今、各地の駅では昔の姿を復原させようとする動きが目立っていますが、復原は一筋縄ではいかず、解体されてしまうことも珍しくありません。

旧国立駅舎は復原に成功した稀有な例といえますが、なぜ旧国立駅舎は一時的に解体されながらも復原できたのでしょうか? 国立市生活環境部まちの振興課旧国立駅舎担当の藤堂天平さんに話を伺いました。

国立駅再築の経緯について話す藤堂天平さん

JR東日本の敷地を買い取って再築用地を確保

――国立駅舎が復原された経緯からお伺いしたいと思います。

藤堂:JR中央線三鷹駅-国立駅間の連続立体交差事業が1999年から着工されることになり、旧駅舎が高架工事に干渉してしまうということでJR東日本から解体の話がありました。

約100年前の1926年に国立駅は開業したわけですが、そもそも国立は箱根土地(現・西武リアルティソリューションズ)創業者である堤康次郎さんが大学町を実現したいということで100万坪の雑木林を切りひらいて開発したことから駅が開設されることになりました。赤い三角屋根の旧国立駅舎は開業当初から国立のシンボルになり、住民に親しまれてきました。

それが住民から保存運動が起きた一番大きな理由ですが、それ以前にも国立では「まちづくり」や景観に関する出来事が起きたことから、市民は自分たちで景観を守るという意識を強くしていったこともあるかもしれません。

――そうした過去の積み重ねがあって、国立市では景観に対する意識が中央線の高架化工事以前から高かったということですね。そこに駅舎の解体という話が出てきたと。

藤堂:当初、JR東日本は中央線を高架化する際に既存駅を取り壊す方針でした。JR東日本から市に旧駅舎を解体する方針との通知をもらいまして、旧駅舎についての議論が始まります。

そこから市は旧国立駅舎の歴史や建築的な価値の調査を始めました。市が動くだけではなく、市民の方々も自主的に勉強会を開くなどして旧駅舎の保存に向けた動きを活発化させていきます。

駅舎を解体する理由が高架工事に支障するということでしたので、駅舎をそのままにして残す存置方式での保存は不可能でした。そのほかにも、曳き家方式と呼ばれる駅舎を円形公園に移動させて、高架化工事が終わったら再び元の位置に戻す方式も検討されましたが、市議会でもさまざまな議論が生じ、その方式がとられることはありませんでした。

――その後、市は、どのように保存に取り組んだのでしょうか?

藤堂:旧駅舎の保存を提案して断られた後、それでも市民の間には旧駅舎を保存したいという要望が根強く、そこでJR東日本と「丁寧な解体と部材の保管」に向けて再協議しました。その協議において、再築用地はJR東日本の敷地を買い取る前提となりました。

また、市からJR東日本に対しては部材を傷めないように慎重に解体してもらうことを要請しています。そうして解体された部材は、市がいったん倉庫で保管し、高架化工事の完成後に駅南口に再築したのです。

旧駅舎がオープンしたときの様子(撮影:2020年4月)

――再築の費用はどのように手当てしたのでしょうか?

藤堂:国立駅舎の再築費用は一般財源から捻出せずに、市内はもちろん全国からの寄附金や国の社会資本整備総合交付金という補助金等で全額を賄いました。再築にかかった費用は、土地の購入代金や部材の保管料など全部で約11億円です。

2棟の商業施設建設計画にも反対の動き

――お金を集めることは難しいことではありますが、何とかなります。それよりも、JR東日本が駅前の土地を譲ってくれたことが驚きです。

藤堂:JR東日本にとっても、国立市民と対立する気持ちがなかったということは大きかったと思います。市や市民と良好な関係を維持することは今後の事業を円滑に進めるためにも重要との判断と理解があり、駅前を譲ってくれることになったと思っています。

そのほかにもJR東日本も国立駅舎が国立市にとってかけがえのない景観になっていることや文化財的な価値についても認識していたと思います。

旧駅舎が現役の駅舎として使われていたときも、少しずつ駅を拡張するのに壁を撤去していますが、そうした増築の歴史もある中で、JR東日本は最後まで三角屋根の部分を壊さないように気を遣っていました。

通常なら動線の邪魔になる柱を撤去してしまうような増築工事もできたはずですが、屋根を壊さないよう柱をそのままに駅舎を使用し続けました。

旧駅舎の保存・復原で幸運だったのは、わりと早い時期に駅舎問題が起きたことかもしれません。例えば、2020年に高輪ゲートウェイ駅の駅前発掘調査で鉄道開業時に築かれた高輪築堤の遺構が出土しました。これは菅義偉首相(当時)も視察して保存を要請しましたが、最終的に一部を保存、あとは記録保存ということになりました。

JR東日本にもさまざまな経営判断があるかと思いますので、そこを私たちが踏み込める話ではありません。それでも、JR東日本は国立市民の気持ちを汲み取って、駅前に背の高い駅ビルを計画しないように配慮したという面はあるかと思います。

また、国立駅からまっすぐ伸びる大学通りは、沿道に桜が植樹されています。春になると綺麗なピンク色に染まりますし、秋には銀杏並木の風景も見られます。こうした景観も国立市民にとってかけがえのない財産になっています。

桜のシーズンは大学通りがピンク色に染まり、美しい景観となる(撮影:2020年4月)

――旧駅舎が再築された区画だけではなく、駅の隣接地が市有地になっています。なぜでしょうか?

藤堂:国立市は旧駅舎の再築用地をJR東日本から購入しました。その後、JR東日本から旧駅舎の左右に2棟の商業施設を建てる計画が報道されました。その案は、旧駅舎の再築にも配慮されていましたが、再築する駅舎の両サイドに商業施設が建つことでどうしても圧迫感が生まれます。また、旧駅舎の存在が埋もれてしまうような雰囲気もあり、市民からも2棟の商業施設が建つことに対する懸念が生まれ、両サイドに商業施設を建てないような運動や陳情が市民から起きました。

そうした市民の動きを受けて、国立市とJR東日本が協議することになりました。その結果、用地交換という形で旧駅舎の両サイドも2023年に市が取得しました。

この両サイドの用地に加え、ロータリーとその周りの歩道を含めた国立駅南口駅前広場全体の再整備事業が現在進んでいます。

「復元」ではなく「復原」とする理由

――東京駅の赤レンガ駅舎は「復元」ではなく「復原」を使っています。国立の旧駅舎も「復原」を使っています。このあたり意識していることをお伺いできればと思います。

藤堂:言葉の意味を考えると、国立駅舎は復元よりも復原の方が合致しているので復原を使っています。これは私の感覚的なものですが、復元を使うとレプリカっぽいイメージが出てしまいます。旧駅舎は元の部材をたくさん使っているので、そのことを世間に明確に伝える意味を込めて復原を用いたのです。

ただ、旧駅舎は実際に工事が始まったあたりから再築という言葉を使うようになりました。国立駅舎に関して復原という言葉をいっさい使わなくなったわけではありませんが、再築という言葉を使うようになったのは、復原を使うと「復元の間違いではないか?」「復原というレベルには達していないのではないか?」との指摘が寄せられるからです。その点、再築という表現にすれば言葉の間違いを指摘されることはありません。

――復原した旧駅舎は、1926年当時にはなかった電気や空調といった設備があります。また、防火や耐震、バリアフリーといった面でも現代に適合させています。どこまで昔の姿で復原するのか? は悩ましいところだと思います。そのあたり、どのような議論をしたのでしょうか?

藤堂:基本的には、1926年の駅舎を再現したいという方向性が定まっていました。しかし、旧駅舎の再築用地は、都市計画法が定める防火地域でした。防火地域に駅を再築するには耐火建築物以上にするという条件を満たさなければなりません。

旧駅舎の部材を可能な限り使うとなると、防火基準を満たすことができません。そこで、市は文化財指定を受けることにしました。文化財に指定されることで建築基準法の適用除外になるからです。

それでも保管されていた部材の一部は腐食が激しく、使用できないものもありました。再利用可能と判断された部材でも、エポキシ系接着剤を用いて埋木し、金輪継手による根継といった補修を施しています。そうした工夫をすることで、創建当初の部材は本数基準で約68.2%、材積基準で約74.8%の再利用率になりました。

当初の意匠を損なわない復原を目指しましたが、だからと言って耐震性を疎かにすることはできません。1926年の旧駅舎は木摺壁が耐震要素になっていました。木摺壁では耐震強度が不足しているので、復原にあたっては壁の配置を維持したまま構造用合板耐力壁を用いることで耐震性を高めています。

また、建物の靱性を高めるために制振ダンパーを柱梁の仕口部分に取り付けました。取り付けられた制振ダンパーは柱・梁の見付幅内に納めたので建物の内観・外観に影響を与えることはありません。

さらに、1926年当時の旧駅舎にはなかった剛床という概念を取り入れています。剛床とは水平方向にかかる力を担保する概念上の床のことです。耐震性を確保するため、天井裏に水平ブレースを配置して、剛床を形成しました。そのほか、電気や空調、情報通信といった現代には欠かせない設備は必要最小限に抑えています。

さらに、スロープなど、現代に合うバリアフリーについても配慮しなければなりません。再築工事の段階では入り口にスロープをつけることはできませんでしたが、後から追加してスロープを設置しています。

こうした現代に合わせた改修はありますが、基本的には1926年当時の駅舎を再現できたと思っています。

旧駅舎再築の設計と施工は竹中工務店が担当しましたが、文化財的な面から監修をしたのが国立市文化財保護審議会委員でもあり、ものつくり大学教授でもある白井裕泰氏です。市の建築部署と白井先生が話し合って復原の方針を決めるとともに、旧国立駅舎の活用方針なども決めていました。その活用方針に基づいて、再築される旧駅舎にはどんな機能が必要になるとか、この機能は削ろうといったことも検討されていきました。

旧駅舎の周囲には、三角屋根の旧国立駅舎をモチーフにしたマンホールがある

駅前の一等地で「金を稼ぐ」機能ではなく「公共的な拠点」

――駅前の一等地ですと、「金を稼げるような施設をつくろう」とか「民間活力を導入して、もっと有効的に活用をしよう」といった提案が多く出る昨今です。そういった提案が出ないのは、国立の地域性によるものでしょうか?

藤堂:高架化で駅舎を保存するという話が出た時点から、市民にアンケートを取って意見を取りまとめています。復原した旧駅舎をどのように使うのがいいか? といった問いもアンケートにはありました。

その問いに対する回答では、地元に密着したアンテナショップや図書館機能が上位を占めました。いずれにしても公共的な役割を帯びた使い方をしてほしいというのが市民のリクエストだったようです。

当初に提案されたアンテナショップは国立をPRすることを強く打ち出していたわけではなく「お金を稼ぐ施設」という意味での回答もあったのかもしれませんが、議論を重ねていくうちに国立の情報を発信する場にしたいという意見が出てきて、今は情報発信の拠点としても機能しています。

――アンテナショップについてもお聞かせください。

藤堂:旧駅舎内には「まち案内所」というスペースがあり、そこで国立市内の事業者が生産・製造・製作した商品を陳列して販売もしています。旧駅舎は駅前にありますから、市民だけではなく駅を利用する人がふらっと立ち寄ることも多いのです。そのときに国立で生産・製造された商品を知ってもらい、そこから実店舗にも足を運ぶ機会を生むサポート的な役割を担いたいという思いがあります。そうした役割を果たせれば街に回遊性が生まれますし、市の産業振興にもつながります。

そういう狙いですので、販売している商品で莫大な利益をあげたいという気持ちはありません。そうした地域振興へと結びつけるためのきっかけづくりの販売コーナーとして、節度を守りながら市内で営業されている商工業者の一助になるために使いたいと考えています。

まちの案内所で陳列・販売している商品の選定は、国立市観光まちづくり協会に委託しています。事業者が旧駅舎内の売店に商品を置きたいと希望する場合は、観光まちづくり協会が年に数回開催している商品選定委員会に申請をして、商品の審査を受ける必要があります。その審査をクリアした商品が旧駅舎で陳列・販売されることになっています。

観光まちづくり協会の審査では、商品の選定をするだけではなく、「パッケージの文言を変えたら、より国立の魅力につながる商品になります」といったアドバイスもしているようです。これらが国立の地域振興に寄与していると考えています。

再築された国立駅舎内はタイムスリップしたような雰囲気。藤堂さん(右)と一緒に写るのは、まち案内所スタッフで、国立に立地する一橋大学に通う末武観月さん(左)

――駅舎内の空間について、ほかの使い方も考えているのでしょうか?

藤堂:「広間」や「展示室」というスペースでは、音楽ライブやパネル展示など様々なイベントが日々開催されています。そうした文化芸術の普及に関することのほかにも何かしら地域に密着したイベントができるような会場としての活用を期待しているところです。基本的には主催者が「使いたい」という申請を出して、旧駅舎のコンセプトから大きくはずれていなければイベントをコーディネートしていく流れになっています。

ただ、旧駅舎は文化財である建物を見ていただいたり、待ち合わせや憩いの場として使っていただいたりしますので、誰でも出入り自由の状態を維持したままで、イベントを開催することになります。

ですから、イベント開催時でも人がきちんと通ることができる動線を残すようにしています。そういった一般のイベント施設とは異なる制限がある中で、それでも駅前一等地でやりたいという方がいらっしゃると思います。

旧駅舎は2020年に再築を果たしましたが、旧駅舎の周辺は現在も再整備をしている段階です。旧駅舎の両側の広場、駅前ロータリーやロータリーの中心部にある円形公園を今後どのようにつくっていくのか? ということが検討されています。

2022年に「国立駅南口駅前デザインアイデアコンペ」を実施し、市内外から291のアイデアが集まりました。その291のアイデアを評価委員会が選考・議論して、2023年3月にシンポジウムを開催。そこで優秀作品を表彰しました。その後、応募作品すべてを冊子形式の作品集にまとめています。

コンペで選ばれたアイデアは、そのまま実現されるわけではありません。各作品の評価されたポイントを集め、それらを現在行なっている基本設計に活かしています。

旧国立駅舎の再築は、単に駅舎を保存するだけの取り組みではなく、市民と市が、そのほか国立市に関わる人や事業者がまちづくりを考え、参加する意味があったと考えています。

小川 裕夫

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経て、フリーランスに転身。専門分野は、地方自治・都市計画・鉄道など。主な著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『東京王』(ぶんか社)、『都電跡を歩く』(祥伝社新書)、『封印された東京の謎』(彩図社文庫)など。