自動車業界の歴史に残る失敗作 55選(前編) 1948年~1991年
公開 : 2025.02.01 18:05 更新 : 2025.02.03 10:41
デザインや性能が良くても、必ずしもヒット商品になるとは限らない。デロリアン、サンヨン・コランド、サーブ9-7xなど、さまざまな理由から「売れなかった」クルマを年代順に紹介していく。
もくじ
ー「クルマを売る」って難しい。
ータッカー48 - 1948年
ーエドセル - 1958年
ーシトロエン・ビジュー - 1960年
ーヒルマン・インプ - 1963年
ーモーガン・プラスフォー・プラス - 1963年
ーアストン マーティン・ラゴンダ - 1974年
ーブリックリンSV-1 - 1974年
ーランボルギーニ・チーター - 1977年
ーボルボ262C - 1977年
ーDMCデロリアン - 1981年
ーアルファ・ロメオ・アルナ - 1984年
ーメルクールXR4Ti - 1984年
ーキャデラック・アランテ - 1986年
ーボルボ480 - 1986年
ースターリング - 1987年
ーランチア・デドラ - 1989年
ーパンサー・ソロ - 1989年
ーアウディS2クワトロ - 1991年
「クルマを売る」って難しい。
自動車業界で成功を収めるのは容易ではない。クルマをヒットさせるには、多くの要因がうまく噛み合わなければならない。そして、それらの要素がすべて揃ったとしても、栄光につながる保証はない。
見た目や革新性、トレンドの先取りなど、何がウケて、何がスベるのか、発売してみないとわからないことばかりだ。失敗例は枚挙にいとまがないが、今回はさまざまな理由で失敗したクルマを年代順に55台紹介していきたい。
タッカー48 – 1948年
自動車史上、あり得たかもしれない「if」の話をするなら、タッカー48は最も興味深いものの1つである。反骨のイノベーター、プレストン・タッカーが設計した48には、多数の安全機能と革新的技術が盛り込まれていた。ステアリングを切った方向を照らす回転式スポットランプ、安全性を高める強化型フロントガラス、ディスクブレーキ、リアマウントのフラット6エンジンなどだ。
タッカーの構想に魅力を感じた人は多かったが、さまざまな理由で失敗に終わる。計画性の低い公開発表はマスコミの酷評を招き、さらに、会社への出資をめぐる詐欺疑惑の捜査もあった。裁判の結果、タッカーは無罪となったが、この段階では48を欲しがる人はおらず、製造されたのは51台のみ。現在も47台が残っており、100万ドル以上の価格で頻繁に取引されている。もし、量産化に成功していたら、歴史はどのように変わっていただろうか。
エドセル – 1958年
市場動向の変化を受け、フォードはビュイックやポンティアックのアッパーミドルクラス車としてエドセルという新ブランドを立ち上げた。当時の社長であるヘンリー・フォード2世(写真)は、1943年に亡くなった父エドセル・フォードの名を付けた。エドセルは、リンカーンブランドよりも手頃な価格で高級感を提供すること目指した。そのため、エドセル専用の販売網を確立することになった。
しかし、発売前に1年間かけて大々的なマーケティングを展開したにもかかわらず、エドセルの仰々しい外観に消費者は敬遠し、ほとんど売れなかった。未来のクルマとして売り出されたエドセルには、オイル残量やエンジン温度の警告灯、テレタッチ・プッシュボタン式ギアセレクターなど、革新的なアイデアが採用されていた。販売当初は期待値にはやや及ばなかったもののまずまずの売れ行きを見せたが、その後の数年で大幅に落ち込み、さらに自動車市場全体が50%も落ち込むという不況の煽りも受けた。フォードは3億5000万ドル(現在の価値に換算すると24億ドル)の損失を出したと見られており、1960年末にはエドセルの生産中止が決定した。
画像:1958年型エドセル・サイテーション・コンバーチブル
画像 大衆車も高級車もスポーツカーも、失敗の連続です。【シトロエン・ビジュー、アストン マーティン・ラゴンダ、パンサー・ソロを写真で見る】 全48枚