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任天堂

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ウィキペディアにも「任天堂」の項目があります。

任天堂株式会社(にんてんどうかぶしきがいしゃ)は、京都府京都市南区に本社を置く企業。現社長は古川俊太郎

概要

1889年創業の老舗企業で、主に玩具やコンピュータゲームの開発・製造・販売を行う。特に、1983年発売のファミリーコンピュータに代表されるコンピュータゲーム機や、1985年発売の『スーパーマリオブラザーズ』に代表されるゲームソフトにより、世界的にゲーム企業として知られる。

1996年に『ポケットモンスター 赤・緑』を発売して以来、ゲーム『ポケットモンスター』の作品を発売・販売している。ポケットモンスターは任天堂とゲームフリーククリーチャーズの3社が原著作権者とされている[1]。1998年には任天堂とゲームフリーク、クリーチャーズの共同出資によりポケモンセンター株式会社(現・株式会社ポケモン)を設立した[1]

沿革

1889年に実業家の山内房治郎によって任天堂骨牌(山内房治郎商店)として創業し、花札やトランプの製造を行っていた。その後、1949年に3代目代表取締役社長として山内溥が就任し、1963年に現在の任天堂株式会社に商号変更した。1980年に発売したゲーム&ウオッチと1983年に発売したファミリーコンピュータは爆発的なヒットを記録し、1989年にはゲームボーイが発売された。

ゲームボーイには通信ケーブルを用いて他のゲームボーイと通信する機能を有しており、田尻智はこの機能に着目してポケットモンスターの企画を制作した[2]。1990年、田尻が交友のあった石原恒和らにその企画を明らかにした際に、当時任天堂の企画部に所属していた川口孝司の目に留まり、川口が企画を任天堂に持ち帰ったことで任天堂が開発費を出すことになった[3]。田尻が率いるゲームフリークによる6年間の開発を経て、1996年に『ポケットモンスター 赤・緑』を発売した。その後、1998年にゲームフリーク、クリーチャーズとの共同出資によりポケモンセンター株式会社(現・株式会社ポケモン)を設立した[1]。ゲーム『ポケットモンスター』シリーズについては、2000年発売の『クリスタルバージョン』までは任天堂が発売を担当していたが、2002年発売の『ルビー・サファイア』以降は株式会社ポケモンによる発売となり、任天堂は販売を担当している。

2002年に4代目代表取締役社長に岩田聡が就任した。2012年3月期第1四半期の連結業績でニンテンドー3DSの値下げや円高などの影響により営業赤字を記録し[4]、2012年3月期の決算では373億円の営業赤字を計上した[5]。その後も赤字が続いていたが、2015年3月期の決算で営業黒字へ回復した[6]。同年7月に岩田が死去したことにともない、5代目代表取締役社長として、2000年から2002年にかけて株式会社ポケモンの代表取締役を務めたこともある君島達己が就任した。2016年7月に全世界で配信開始した『Pokémon GO』により株価が高騰したが、同月中に株式会社ポケモンが持分法適用関連会社であることから連結業績予想への影響を「限定的」とし、業績予想の修正を行わないとする文書を発表した[7]。2017年にNintendo Switchを発売し、翌2018年には君島が任期満了により代表取締役社長を退任した[8]。第6代目代表取締役社長には、取締役・常務執行役員を務め、2012年より株式会社ポケモンの社外取締役も務めていた古川俊太郎が就任した[8]

商品・サービス

ポケットモンスターに関連するものだけ列挙する。他の製品などは、Wikipediaの任天堂#製品を参照。

据置型ゲーム機

携帯ゲーム機

その他

脚注

関連項目

外部リンク

公式サイト

ポケットモンスター関連