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Review

小西康陽: 失恋と得恋

2024 / UNIVERSAL MUSIC LLC
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このお言葉、あのお言葉、お日柄によって

18 February 2025 | By Shoya Takahashi

静岡は夜の11時。わたしはいまだに2024年に取り残されているような気がする。なぜか。せわしなく鬱屈した日常を送っているからではない。今年に入ってすでにいくつかの新譜について言語化しそこねているからではない。たぶん、小西康陽の『失恋と得恋』が2024年の暮れから現在に至るまで、くらーーく影を落としつづけているからじゃないかな。

少し個人的なテイストの話をさせてほしい。思い返せば、わたしはいわゆる「歌もの」的な音楽に深く親しむのが遅かったように感じる。2019年ごろまではといえば、ボアダムスとレイト・オブ・ザ・ピア(Late of the Pier)と100 gecsさえあれば満足という、即物的な超・快楽主義者な聴き手だった。それが2020年以降、井出健介と母船、冬にわかれて、優河、Summer Eye、kiss the gamblerなどなど、日本の「うた」にフォーカスすることのできるシンガー・ソングライター的ないくつかの作品に夢中になる時期があった。過度に刺激的なものへの飽きのためかもしれないし、クルマで音楽を聴くのが主になったからかもしれない。あるいは占星術的に、言葉やコミュニケーションが重視される「風の時代」の到来が理由かもしれない。

小西康陽による(ピチカート・ファイヴ時代の楽曲や提供曲を小西自らが歌い、新たな編曲で収録した)『失恋と得恋』は、まさに2020年代前半、その路線の総決算とでもいうべき作品だ。インプレッション至上、タイパやフェイク、wokeが大いに流通する現在において、もっとも愚直で生身な「うた」の力を信じ切ったこの作品に、わたしは強いいとおしさを感じている。

通勤時間は必要以上に長いほうがいい。部屋は凍えるほど冷たいほうがいい。人との会話は少ないほうがいい。平熱は平熱以下に、からだの反応速度や感受性は低く、疲労感が心地よさや充実感の範疇を超えたとき、かれの声はあまりにも強く、そして哀しく震わせてくれるからだ。

「東京は夜の七時」:ピチカート・ファイヴ時代の代表曲でありながら、30秒程度に編曲され、アルバム冒頭の同じく30秒程度の「心の欠片」に続けて配置される素っ気なさ。最後に一度だけ、「トーキョーは夜の七時」と男声の飾り気のないユニゾンでうたわれるが、この声は本作が「うた」のアルバムであることを宣言するかのようだ。

「衛星中継」:「東京は夜の七時」をイントロ代わりに雪崩れこむ。アルバムではじめて小西が聴かせる、朗々とした歌声が好きだ。サ行の発音とア段の発声がアクセントとなり、彼の声はつつましくも闊達に歩みをすすめる。「アナタノコト、スキナノコト」と意味をなかば手放して語感を強調したリリックに、ピチカート・ファイヴが得意としたユーモアを思い出す。

「むかし私が愛した人」:じつは夏木マリのヴァージョンを聴いたことがなかった。ボサ・ノヴァにアレンジされ、オリジナルよりもずいぶんと明るい印象を感じる。セピア色の写真に映るなにか──20代のわたしはそのようなイメージを実体験として思い浮かべることができず、ヴェイパーウェイヴ的な仮想記憶を幻視することしかできないのだが、すぐれた言葉撰びやニュアンスによってたしかに心を揺り動かされる──を見るようにせつない「むかし私が愛した人」とのリフレインは、妖艶にうたわれる夏木マリ版とは異なり、どこか乾いた表情で聴かせている。エッジボイスを強調した湿っぽい声も耳にのこっている。

「きみになりたい」:本作のハイライトの一つだと思う。瞳、くちびる、声、ポーズ、指、はだか──執着にも近い視線で相手のかたちを認める語り手だが、その「きみ」は「ひどくつめたい」という。「つめたい」が示すのが、性格の冷たさなのか、それともすでに死んだ身体の冷たさなのか、はっきりしない。オリジナルはピチカート・ファイヴ『女性上位時代』に収められており、わたしにとって『女性上位時代』はピチカートの中でフェイバリットなのだが、それを聴いていたときにはこの歌詞が含んだアンビバレントなニュアンスを感じ取れなかったはずだ。

つい「うた」を中心に書いてしまったが、本作は演奏や録音もすぐれている。声とチェロ、声とコントラバス、コントラバスとドラムス、それぞれが干渉し合うことなく、棲み分けている。あなたがイヤフォンをつけていれば、かれのうたや演奏の細かなニュアンスに耳を澄ますことができるし、あなたがカーステレオで聴いていたとしても、コントラバスの低音やスネアの高音、ヴォーカルの輪郭は失われることなく、確実なリスニングをもたらしてくれる。

とはいえこのアルバムはやはり「うた」のアルバムである。タイトルは『失恋と得恋(英題:Love. Lost and Found)』。この世に生まれた時点で恋をしていないのであれば、人生の間に「失恋」をした回数よりも「得恋」をした回数のほうが多いはずなのに、どうして人はいつも悲しんだりするのだろう。そんなことをときどき考えつつ、人づきあいや社交にうんざりするときもあるけれど、昨年の仕事納めやら忘年会の時期などにはわたしに寄り添ってくれる『失恋と得恋』というアルバムがあってほんとうによかったと感じている。このお言葉、あのお言葉、お日柄によって「グッ心地」が変わりました。(髙橋翔哉)

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