高山 政吉(たかやま まさきち、1899年〈明治32年〉6月19日 - 1972年〈昭和47年〉6月1日)は、日本の武術家。戦時中には大日本帝国海軍軍属となり、陸・海軍の刀法技法・指導法を研究して高山流抜刀術を開いた。 舞鶴鎮守府の武道師範として海軍に奉職し、あらゆるもので試斬を行った他、自らも戦場へ赴き、白兵戦での軍刀の扱い方を研究し、発表した。なお、高山は軍人としての海軍入りを法務局により反対されたため、最後まで軍属のままであったが、1943年(昭和18年)9月30日、海軍省より将官相当官として遇されることになる。