高句麗(こうくり、コグリョ、朝鮮語: 고구려、英語:Goguryeo、拼音: Gāogōulí、紀元前1世紀頃 - 668年)または高麗(こま、こうらい、コリョ、朝鮮語: 고려、英語:Korea、拼音: Gāolí)は現在の大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国北部から中国東北部(満洲)の南部にかけての地域に存在した国家。最盛期には中国東北地方南部、ロシア沿海地方の一部、および朝鮮半島の大部分を支配した。朝鮮史の枠組みでは同時期に朝鮮半島南部に存在した百済・新羅とともに朝鮮の三国時代を形成した一国とされる。 『三国史記』の伝説によれば、初代王の朱蒙(東明聖王)が紀元前37年に高句麗を建てたとされるが、文献史学的にも考古学的にも高句麗の登場はこれよりもやや古いと見られている。漢の支配から自立し、3世紀以降、魏晋南北朝時代の中国歴代王朝や夫余(扶余)、靺鞨、百済、新羅、倭など周辺諸国と攻防を繰り広げ、5世紀には最盛期を迎えた。高句麗は東アジアで大きな影響力をもったが、589年に中国が統一され南北朝時代が終焉を迎えると、統一王朝の隋・唐から繰り返し攻撃を受けた。高句麗は長らくこれに耐えたが、660年には百済が唐に滅ぼされ、新羅も唐と結んだことで南北から挟まれた。そして国内の内紛に乗じた唐・新羅の挟撃によって668年に滅ぼされ、唐に吸収されて安東都護府が設置された。