赤曜会(せきようかい)とは、大正初期に結成された日本画の研究発表会である。会員が目黒に住んでいたため目黒派とも言われる。 1914年(大正3年)12月に松本楓湖の門下生で、今村紫紅を慕う日本画家たちによって東京で発足する。紫紅は赤曜会のために、赤地に黒で「悪」と印したバッジをデザインしている。 1915年(大正4年)2月に第1回、同年の6月に第2回、11月に第3回展を東京目黒の夕日ヶ岡で開催したが、1916年(大正5年)2月に今村紫紅の死去によって活動を停止した。
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