Nothing Special   »   [go: up one dir, main page]

植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。 東京府生まれ。同年生まれの黒澤明とは文京区の黒田小学校(後の文京区立第五中学校)時代からの旧友。京華商業高等学校中退。エキストラなどを経て、黒澤作品『素晴らしき日曜日』、『酔いどれ天使』の脚本を手がける。黒澤とはロシア文学等の良き話し相手だったが、1977年、『文藝春秋』のグラビア記事「同級生交歓」で再会したのを最後に絶交した。植草が「本木荘二郎のことを書く」と言ったのに対し、黒澤が「やめてほしい」「欲しい映像を得るためならば、一人や二人の犠牲はやむをえない」「西部劇のインディアンは滅びの民だ、同情もしなければ支援もしない」などと発言したのが原因である、と植草は述べている。 1973年には『冬の花 悠子』で直木賞候補となった。映画脚本や小説以外の著書に『わが青春の黒沢明』がある(文藝春秋、のち文春文庫に収録)。 なお、従兄に音楽・映画評論で著名だった植草甚一がいる。

Property Value
dbo:abstract
  • 植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。 東京府生まれ。同年生まれの黒澤明とは文京区の黒田小学校(後の文京区立第五中学校)時代からの旧友。京華商業高等学校中退。エキストラなどを経て、黒澤作品『素晴らしき日曜日』、『酔いどれ天使』の脚本を手がける。黒澤とはロシア文学等の良き話し相手だったが、1977年、『文藝春秋』のグラビア記事「同級生交歓」で再会したのを最後に絶交した。植草が「本木荘二郎のことを書く」と言ったのに対し、黒澤が「やめてほしい」「欲しい映像を得るためならば、一人や二人の犠牲はやむをえない」「西部劇のインディアンは滅びの民だ、同情もしなければ支援もしない」などと発言したのが原因である、と植草は述べている。 1973年には『冬の花 悠子』で直木賞候補となった。映画脚本や小説以外の著書に『わが青春の黒沢明』がある(文藝春秋、のち文春文庫に収録)。 なお、従兄に音楽・映画評論で著名だった植草甚一がいる。 (ja)
  • 植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。 東京府生まれ。同年生まれの黒澤明とは文京区の黒田小学校(後の文京区立第五中学校)時代からの旧友。京華商業高等学校中退。エキストラなどを経て、黒澤作品『素晴らしき日曜日』、『酔いどれ天使』の脚本を手がける。黒澤とはロシア文学等の良き話し相手だったが、1977年、『文藝春秋』のグラビア記事「同級生交歓」で再会したのを最後に絶交した。植草が「本木荘二郎のことを書く」と言ったのに対し、黒澤が「やめてほしい」「欲しい映像を得るためならば、一人や二人の犠牲はやむをえない」「西部劇のインディアンは滅びの民だ、同情もしなければ支援もしない」などと発言したのが原因である、と植草は述べている。 1973年には『冬の花 悠子』で直木賞候補となった。映画脚本や小説以外の著書に『わが青春の黒沢明』がある(文藝春秋、のち文春文庫に収録)。 なお、従兄に音楽・映画評論で著名だった植草甚一がいる。 (ja)
dbo:birthYear
  • 1910-01-01 (xsd:gYear)
dbo:deathYear
  • 1993-01-01 (xsd:gYear)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageID
  • 1731244 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 1684 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 90385181 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
prop-ja:その他の賞
  • 1947 (xsd:integer)
  • 毎日映画コンクール (ja)
  • 脚本賞 (ja)
prop-ja:ふりがな
  • うえくさ けいのすけ (ja)
  • うえくさ けいのすけ (ja)
prop-ja:出生地
  • ・東京府 (ja)
  • ・東京府 (ja)
prop-ja:本名
  • 之助 (ja)
  • 植草 (ja)
  • 之助 (ja)
  • 植草 (ja)
prop-ja:民族
prop-ja:没年
  • 1993 (xsd:integer)
prop-ja:没日
  • 19 (xsd:integer)
prop-ja:没月
  • 12 (xsd:integer)
prop-ja:生年
  • 1910 (xsd:integer)
prop-ja:生日
  • 5 (xsd:integer)
prop-ja:生月
  • 3 (xsd:integer)
prop-ja:画像コメント
  • 1948 (xsd:integer)
prop-ja:画像ファイル
  • Uekusa Keinosuke.JPG (ja)
  • Uekusa Keinosuke.JPG (ja)
prop-ja:職業
prop-ja:芸名
  • 植草 圭之助 (ja)
  • 植草 圭之助 (ja)
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。 東京府生まれ。同年生まれの黒澤明とは文京区の黒田小学校(後の文京区立第五中学校)時代からの旧友。京華商業高等学校中退。エキストラなどを経て、黒澤作品『素晴らしき日曜日』、『酔いどれ天使』の脚本を手がける。黒澤とはロシア文学等の良き話し相手だったが、1977年、『文藝春秋』のグラビア記事「同級生交歓」で再会したのを最後に絶交した。植草が「本木荘二郎のことを書く」と言ったのに対し、黒澤が「やめてほしい」「欲しい映像を得るためならば、一人や二人の犠牲はやむをえない」「西部劇のインディアンは滅びの民だ、同情もしなければ支援もしない」などと発言したのが原因である、と植草は述べている。 1973年には『冬の花 悠子』で直木賞候補となった。映画脚本や小説以外の著書に『わが青春の黒沢明』がある(文藝春秋、のち文春文庫に収録)。 なお、従兄に音楽・映画評論で著名だった植草甚一がいる。 (ja)
  • 植草 圭之助(うえくさ けいのすけ、1910年3月5日 - 1993年12月19日)は、日本の脚本家、小説家。本名は植草銈之助。 東京府生まれ。同年生まれの黒澤明とは文京区の黒田小学校(後の文京区立第五中学校)時代からの旧友。京華商業高等学校中退。エキストラなどを経て、黒澤作品『素晴らしき日曜日』、『酔いどれ天使』の脚本を手がける。黒澤とはロシア文学等の良き話し相手だったが、1977年、『文藝春秋』のグラビア記事「同級生交歓」で再会したのを最後に絶交した。植草が「本木荘二郎のことを書く」と言ったのに対し、黒澤が「やめてほしい」「欲しい映像を得るためならば、一人や二人の犠牲はやむをえない」「西部劇のインディアンは滅びの民だ、同情もしなければ支援もしない」などと発言したのが原因である、と植草は述べている。 1973年には『冬の花 悠子』で直木賞候補となった。映画脚本や小説以外の著書に『わが青春の黒沢明』がある(文藝春秋、のち文春文庫に収録)。 なお、従兄に音楽・映画評論で著名だった植草甚一がいる。 (ja)
rdfs:label
  • 植草圭之助 (ja)
  • 植草圭之助 (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • うえくさ けいのすけ (ja)
  • 之助 (ja)
  • 植草 (ja)
  • 植草 圭之助 (ja)
  • うえくさ けいのすけ (ja)
  • 之助 (ja)
  • 植草 (ja)
  • 植草 圭之助 (ja)
is dbo:wikiPageRedirects of
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:relations of
is prop-ja:脚本 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of