山本 権八(やまもと ごんぱち、文化6年(1809年) - 明治元年9月17日(1868年11月1日))は、幕末の会津藩士。 山本家は「日新館志」によれば安土桃山時代の茶人・の子孫である。道句の孫・道珍良次が保科正之に茶道指南として仕え、幕末まで会津藩に仕えて150石を与えられていた。権八の家はその分家(最終的な禄高は22石4人扶持)である。