尹汝弼(윤여필、ユン・ヨピル、1466年 - 1555年)は、李氏朝鮮中期の文臣・外戚。字は「伯翊」、爵号は「坡原府院君」後に「坡平府院君」に改称、諡号は「靖憲」。本貫は。の次男。正室はの娘。中宗反正により靖国三等功臣となり、娘を淑媛の地位で後宮に入れ、中宗の本望により、章敬王后となり、国舅となっている。 燕山期には連座により、2回の流刑を受け、釈放後に中宗反正に関与する事で、靖国三等功臣となり、章敬王后が王妃になると、要職を担い、各官の支持を集めた。だが倫理を外れた行動によって、次第に弾劾を受け、子の尹任が小尹派によって逆賊とされ賜死されると、各所からの激しい弾劾を受けた末、爵位を剥奪され、京畿道龍仁県に赴く事となる。死後は靖国四等功臣と爵位を復権された。