天草 四郎(あまくさ しろう)は、江戸時代初期のキリシタンで、島原の乱における一揆軍の最高指導者とされる。 本名は益田 四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は当初は「ジェロニモ(Geronimo)」であったが、一時期表向きの棄教をしていたためか、島原の乱当時は「フランシスコ(Francisco)」に変わっていた。一般には天草四郎という名で知られる。また、後述の通り豊臣秀頼(豊臣秀吉の息子)の落胤であったとする伝説もあるが信憑性は低い。渡辺小左衛門によって天草島原一揆に参加する。神の子として一揆勢を率いた。