大田 錦城(おおた きんじょう、明和2年(1765年) - 文政8年4月23日(1825年6月9日))は、江戸時代中期の儒学者。名は元貞、字は公幹、通称は才佐。他の号に老人・春草翁・柳橋釣叟・矢倉潜夫がある。姓は「太田」とも表記される。姓の「大田」と号の「多稼」は『詩経』の「大田章」に典拠があるという。