公孫 瓚(こうそん さん、拼音: Gōngsūn Zàn、? - 建安4年3月(199年4月))は、中国後漢末期の武将。字は伯圭、または伯珪。幽州遼西郡令支県(現在の河北省遷安市)の出身。従弟は公孫範・公孫越。子は公孫続ら。『三国志』魏志、および『後漢書』に伝がある。 後漢末期の動乱で有力な将軍として頭角を現し、後に群雄として割拠した。河北の支配権をめぐって袁紹と争うが、劉虞を殺害するなどしたため人心を失い、最後は袁紹に敗れて自害した。