今村 和郎(いまむら わろう / かずろう、1846年10月22日(弘化3年9月3日) - 1891年(明治24年)5月4日)は、明治時代の日本の法制官僚・教育者。 土佐藩出身。大学南校(東京大学の前身の1つ)教員を経て岩倉使節団の一員となり、さらにパリ東洋語学校(フランス国立東洋言語文化学院の前身)に勤務。帰国後は内務省取調局長、法制局(内閣法制局の前身)部長、明治法律学校(明治大学の前身)講師、貴族院議員、行政裁判所評定官を歴任し、また法律取調委員会の報告委員として旧民法のうち日本政府法律顧問ボアソナードが起草した財産法部分(ボアソナード民法典)の制定に尽力した。