中華人民共和国大飢饉(ちゅうかじんみんきょうわこくだいききん、英語: The Great Chinese Famine)または3年大飢饉(さんねんだいききん、中国語: 三年大饥荒/繁体字中国語: 三年大饑荒/拼音: Sānnián dà jīhuāng)とは、1959年から1961年までの中華人民共和国の歴史において広範にわたり発生した、大規模な飢饉である。一部の学者は、1958年または1962年もこの期間に含めている。この大飢饉は、人類史上最大級の人為的災害の1つであり、飢餓による推定死亡者数は数千万(1,500万〜5,500万以上)人にも及び、史上最悪な飢饉であったと広く見なされている。なお、この期間中の犠牲者はすべてが餓死によるものではなく、そのうちの6%から8%が拷問や処刑によるものとされる。 飢饉の主要な原因は、この間に起こった旱魃などの自然災害に加えて、毛沢東政権下の1958年から1962年にかけて行われた大躍進政策と人民公社による数々の政策であった。第2代中国国家主席の劉少奇は、1962年初頭の七千人大会で、今回の大災害は三分が天災、七分が人災(中国語: 三分天灾、七分人祸)であったことを公式に認めた。改革開放の開始後の1981年6月に、中国共産党は、いくつかの自然災害に加えて、大躍進政策と反右派闘争の過ち、そして中ソ対立が大飢饉の主な原因であると公式に述べた。